猿も蟹もおむすびを選ぶのは当然だ

 むかし、むかし、あるところに、猿とかにがありました。
 ある日猿とかにはお天気がいいので、連れだって遊びに出ました。その途中、山道で猿は柿の種を拾いました。またしばらく行くと、川のそばでかにはおむすびを拾いました。かには、
 「こんないいものを拾った。」
 と言って猿に見せますと、猿も、
 「わたしだってこんないいものを拾った。」
 と言って、柿の種を見せました。けれど猿はほんとうはおむすびがほしくってならないものですから、かにに向かって、
 「どうだ、この柿の種と取りかえっこをしないか。」
 と言いました。

「猿かに合戦」『日本童話宝石集(二)日本の神話と十大昔話』
楠山正雄著、講談社

 猿にそう言われた蟹は首をかしげながら、「でもおむすびのほうが大きいしなあ」とつぶやいた。猿は思わず下を向いて笑う。大きいか小さいか、どうやら蟹にはその程度の判断しかできないようだ。つまり常に現在進行形なのだ。過去や未来への感覚がほとんどない。

 それに比べれば猿は霊長類だ。地球上に現れた生きものとしては、進化の頂点近くにいる。柿の種が数年後に何をもたらすかを知っている。

 とはいえ猿もやはり猿だ。知ってはいるけれど、結局は大きいほうがいい。まあそれも当たり前。桃栗三年柿八年。やっぱり八年は長い。そのときに自分が生きているかどうかすらわからない。ならばおむすびを選択することは当然だ。

 「でも柿の種は、まけば芽が出て木になって、おいしい実がなるよ。」
 と猿は言いました。そう言われるとかにも種がほしくなって、
 「それもそうだなあ。」
 と言いながら、とうとう大きなおむすびと、小さな柿の種とを取りかえてしまいました。

(前掲書)

暴力から逃れるため、脅えながら柿は必死に成長した

 蟹はさっそく柿の種を庭に蒔いた。もちろん「早く芽を出せ 柿の種 出さぬと鋏でちょん切るぞ」と唄いながら。世が世ならほぼ虐待だ。土の下の種は震えた。決して脅しではない。確かに蟹のあの鋭利な鋏なら、柿の種など容易く二つに切断できるだろう。数日後に芽が出た。大喜びの蟹は水をやりながら、「早く木になれ 柿の芽よ ならぬと鋏でちょん切るぞ」と唄う。自慢の鋏は陽の光を浴びてキラキラと光っている。