近代の最後の哲学者たちから、
現代を生きるヒントを学ぶ

出口:父の考え方に反抗し神に救いを求めた、繊細な長男キルケゴール。父を尊敬しその理念をもっと科学的に推し進めようとした、次男マルクス。そして父の絶対精神を認めず神とも絶縁して、一人で生きぬいた三男ニーチェ。
この3人をヘーゲルの子どもという観点から、また近代の最後の哲学者として見ていくと、ここに現代の精神の大枠が用意されているようにも思われます。
歴史は進歩していくという考え方と、進歩しないという考え方。歴史は進歩すると考えれば、頼るべきものは不要です。それとも世界は進歩しないと考えて、宗教のような絶対者に頼るか。または、神に罰せられても、自分自身の力への意志で生きぬくのか。僕たちが現代をどう生きるか、を考えようとすれば、こうした大枠の中で考えることになりそうです。

この3人をヘーゲルの子どもにたとえるなど、「なんと乱暴な」と怒られるかもしれませんが、一つの仮説としてご容赦いただければと思います。

無意識が人を動かすのか?

――フロイトも哲学者なのですか?

出口:いわゆる哲学者ではありません。ジークムント・フロイト(1856-1939)は、ニーチェより12年余り遅くオーストリアに生まれたユダヤ人の神経病理学者です。
精神分析の創始者ともいわれています。フロイトは「無意識」を発見したことで、人類に多大の知的貢献を行いました。
これまでの哲学者はニーチェまで含めて、哲学を理性、すなわち人間の意識をベースにして構築してきました。いわば、すべては人間が頭で考えたことです。ところが、フロイトは夢判断による患者の精神分析を行っているうちに、夢は無意識なものの表出であるが、その無意識に考えていることが実は人間を動かしているのではないか、と考えるようになります。

哲学者は長い間、理性で考えたことを言葉に落とし文字に書き連ねて、意識の世界を精緻(せいち)に論理化してきました。そして、その中から立派な哲学の果実がいくつも誕生してきました。
しかしフロイトは、人間を動かしているのは、脳の意識されている領域ではなく無意識の領域ではないか、という人間観を取り入れました。そして実は、今日の脳科学の世界では脳の働きの90パーセント以上を占める、人間が意識できない部分の存在が確認されています。そして、その部分が間違いなく人間を動かしているのです。
そういう意味でフロイトは、今までの哲学とはまったく違う切り口を取り入れた人です。

――フロイトは、何が無意識の領域を動かしていると考えたのですか?

出口:リビドーです。

――リビドーとは何ですか?

出口:リビドーとは本来はラテン語で、欲望の意味です。フロイトはこの言葉を、性的衝動を発動させる力と意味づけました。人間の無意識な行動の裏側には、さまざまな性的な動機が働いている、という考え方です。たとえば、エディプス・コンプレックスがあります。男の子は母の愛を得ようとして、同性である父を憎む態度を無意識に取ってしまうと、フロイトは考えました。エディプス・コンプレックスとは、父とは知らずに父を殺害し母と結婚したギリシャ神話のオイディプスにちなんで、フロイトが創作した言葉です。

リビドーの解釈について、性的な衝動を重視していたフロイトでしたが、晩年に近くなると学説が変化してきました。人間の無意識を支配するものとして、生の本能(エロス)と死の本能(タナトス)の存在を指摘したのです。
子孫を残そうとする生の本能が人間には強いのですが、世界を壊してしまいたいという死への本能も、また人間には強くあるのではないか。そのようにフロイトは考え始めたのです。

フロイトの無意識の世界について考える姿勢は、さながら、キルケゴールやニーチェの隣にいる従弟のような存在に僕には見えます。
フロイトは、哲学者として自分の理論を体系化したわけではありません。しかし彼が精神分析の成果として残した多くの業績は、無意識の世界の大きさを指摘したことも含めて、現代の哲学、思想界や芸術界などに大きな影響を与えたのです。

フロイトの著作としては、『精神分析入門』(高橋義孝、下坂幸三訳、新潮文庫、全2冊)や『新訳 夢判断』(大平健編訳、新潮モダン・クラシックス)が有名であり、岩波書店から『フロイト全集』(全22巻、別巻1)が出ています。