イングランドで
なぜ「経験論」が生まれたのか

 イングランドはものすごく面白い国で、今でもアングロサクソンの国だとよくいわれますが、最初にあの島国にきたのは、ケルト人です。

 イングランドの北緯は結構、上のほうにある。でも、僕も転勤で3年、住んでみたことがあるのですが、結構暖かい。
「ガルフストリーム(Gulf Stream)」と呼ばれるメキシコ湾流が流れているから、意外に住みやすい国なのです。

 イングランドへは、最初はケルト人が入ってきた。
 それから、アングル人とサクソン人が入ってきた。
 サクソンとは「ザクセン」、つまりドイツに多く移り住んだ人々です。
 そしてその後にローマ人が入ってきた。
 カエサル(BC100−BC44)がロンドンにも入っていますね。

 その後、イングランドはヴァイキングの餌食になる。
 デーン人が入ってきて、今でも「デーンロウ(デーン人の風習が残っているイングランド東部地域の意)」という言葉が残っていますが、実はイングランドの国土の大半はデーン人が押さえていた。

 その次に、クヌートというデンマーク王が全土を占領、イングランドはクヌートの北海帝国の一部となります。
 その後、ヴァイキングの仲間であるノルマンディー、フランスに住み着いたヴァイキングがイングランドの王様になるわけです。

 これがクヌートの親戚の「ウィリアム征服王(ウィリアム1世、在位:1066−1087)」で、11世紀の話です。

 1085年に、ウィリアム征服王は、「ドゥームズデイ・ブック」という土地台帳をつくっています。
 この中に200人ぐらいの領主の名前が記されていますが、アングロサクソン人の名前は1割もない。つまりイングランドは、ほぼノルマン人、ヴァイキングの国になってしまっていたのです。
 その後、宗教に寛容なイングランドへは、大陸から新教側の人々が大挙して押し寄せた。

 このように、イングランドはもともと、人種のルツボなのです。
 いろいろな人が出入りする中で、頭で考えるよりいろいろなことを見たり経験したりした人のほうが強い。そんな思考が醸成されていったのだと思います。
 だからこそ、この地で「経験論」が育まれたと考えられるのです。

(つづく)