世界の哲学者はいま何を考えているのか――21世紀において進行するIT革命、バイオテクノロジーの進展、宗教への回帰などに現代の哲学者がいかに応答しているのかを解説する哲学者・岡本裕一朗氏による新連載です。いま世界が直面する課題から人類の未来の姿を哲学から考えます。9/9発売からたちまち重版出来の新刊『いま世界の哲学者が考えていること』よりそのエッセンスを紹介していきます。第4回は哲学・思想界の新たなスターであるカンタン・メイヤスーによる「思弁的実在論」を概観します。

ポストモダン以後の思想――実在論的転回とは何か?

前回はポストモンダン以降の21世紀における哲学の3つの潮流を概観しました。今回と次回はそのなかでも「実在論的転回」にフォーカスして解説をしたいと思います。

21世紀になって、ポスト「言語論的転回」として目立った活動をしているのが、「実在論的転回」とでも呼ぶことができる潮流です。ただ、この潮流は若手の哲学者が中心となっていることもあって、まだ翻訳も少なく、今のところ全体像が把握し難い状況です。そのため、ここでは、紹介の意味を込めて、その成立過程に触れておきたいと思います。

マウリツィオ・フェラーリスの『新実在論入門』(2015年)によると、「実在論的転回」が明確な形で現われたのは、カンタン・メイヤスーによる『有限性の後で:偶然性の必然性についての試論』(2006年)からです。「この書物出版の2年後に、きわめて影響力のある運動、つまり思弁的実在論の運動が生まれた」のです。

この運動に参加した主要なメンバーは、メイヤスー自身と、3人の思想家たち(グレアム・ハーマン、イアン・ハミルトン・グラント、レイ・ブラシエ)です。彼らの議論については、2011年の論集『思弁的転回』において、確認することができます。

こうした運動とは独立して、フェラーリス自身やドイツのマルクス・ガブリエルらによって、「新実在論」と呼ばれる思想も展開されています。ガブリエルの『なぜ世界は存在しないのか』(2013年)によれば、「新実在論は、いわゆるポストモダン以後の時代を示す哲学的立場を記述する」とされます。これを受けて、フェラーリスは2012年に『新実在論宣言』を書き、その立場を簡潔に示しています。

注目したいのは、実在論的転回を唱える思想家たちが、二つの重要な傾向をもっていることです。一つは、彼らが総じて、「ポストモダン以後」を明確に打ち出していることです。20世紀末に流行したポストモダン思想に対して、その終焉を突きつけたわけです。

もう一つは、ポストモダン思想を、歴史的により広い視野から捉え直したことにあります。実在論者たちによれば、ポストモダンにおいて頂点に達する言語論的転回は、じつを言えば、すでにカントの「コペルニクス的転回」から始まっています。これを示すために、フェラーリスは「フーカント(フーコー+カント)」という言葉で茶化しています。

さらに、この伝統は、ある意味では近代哲学の創始者デカルトにまで淵源する、とされます。そのため、フェラーリスは「デカント(デカルト+カント)」という言葉を語ることもあります。「フーカント」も「デカント」も、存在は思考によって構築されるという「構築主義」を戯画的に表現しています。こうした構築主義が、20世紀末のポストモダン思想の本質をなしている、と考えたのです。

21世紀を迎える頃には、ポストモダンの流行も終息していましたが、実在論的転回はそれを思想的に葬り去ろうとしたのです。その意味で、フェラーリスが語るように、現代の実在論的潮流を、「時代精神」と呼ぶことも可能かもしれません。

しかし、注意したいのは、実在論的転回といっても、一枚岩ではなく、それぞれの論者によって内容が違っていることです。そこで、その思想を理解するには、個々の哲学者たちの議論を取り上げなくてはなりません。