自分は将来どうなるだろうか……。そんな不安を持つ人は少なくない。「いつまで第一線でいられるか」「いつまで他人と競えばいいのか」「いまいる友達は60歳になっても友達か」「気力体力はどうなるか」「お金は?」「いまのうちにやるべきことは?」など。そこで本連載では、2025年に60歳を迎える奥田民生の10年ぶりの本『59-60 奥田民生の仕事/友達/遊びと金/健康/メンタル』の中から、民生流の「心の持ち方、生きるヒント」を紹介する。吉川晃司との新ユニット「Ooochie Koochie」(オーチーコーチー)も話題の奥田民生は、これまでどのように考え、どのように働き、どのように周りとの関係を築いてきたのか。その真髄を見ていこう。(構成/ダイヤモンド社・石塚理恵子)

Photo by Takahiro Otsuji
「忘れられない友」はいるか?
歳をとると1人くらい、忘れられない友がいる。
何年か前、中学からずっと一緒だった友達が亡くなった。
そいつも広島から東京に出て来ていたから、たまに連絡を取っていたのだけれど、急に倒れてありゃーって思っているうちに亡くなった。
病気だったらしい。
友達の葬儀に出る日
葬儀に行ったらそいつが一緒に暮らしていた家族がいて、俺の知らない友達がいた。
最近、ほとんど話すことはなかったけれど、その様子を見ていたら「なんとなく楽しく過ごしていたんだろうな」「俺の知らないところでこいつも幸せに暮らしていたんだろうな」と思えて、葬式だけどなんだかよかった。
最後に会ったときで思い出は止まってしまうから、そこからそいつが丸くなったり、急に怒り出したりすることはない。
でもだから印象は逆にはっきりしている。
いまとなっては「あのとき、もう少しなんか話しておけばよかったか」とか、後悔がないわけではないのだけれど、こればっかりはしょうがない。
死も「想定内」になる
58歳になったとき、シャレじゃなく「死ぬ」ってことを考えるようになった。
俺もいつ死ぬかわからん、と。
実際、この歳になると同級生が何人か死んでるって人も少なくない。
ただ、40代はもちろん57歳になるまでそんなことは思わなかった。
58っていう「8」の数字が「もうすぐ60歳だ」と思わせるのか、急に60歳が見えてくると、お袋が60歳のときのことを思い出したり。
死生観は変化する
お袋が60歳のときなんて、思えばすごく昔になるし、俺もまだまだじゃんって思うのだけど、40代から50代になるのとはまったく違って意識が変わる。
ミュージシャンの先輩のCharさんなんかは、俺より10年早くこれを経験しているはずだけど、みんな、死んで会えなくなった仲間をどう思っていたのかな、とときどき思う。
ただ周りの70代を見ているとなにかが吹っ切れてる感じもするから、死生観も歳と共に変わるものなのかもしれない。
生死はコントロールできない
そんなわけで「忘れられない友達」は死んで会えなくなったやつになるけど、でもだからといってみんなに「友達には早めにたくさん会っておけ」とか「定期的に会っておけ」と言うつもりはない。
まあ、友達なんてそんなもんだということだ。
会っても会わなくても、死んでも死ななくても
まだ生きているやつのことは無理やり考えなくていい。
もう会えないってなったら、ときどき思い出すくらいがちょうどいい。
友達でいることを続けるために変な努力をするのは俺は違うと思っている。
会いたくなったら会えばいいし、用がなければ会わなくてもいい。
会っても会わなくても、死んでも死ななくても友達はずっと友達だ。
(本稿は奥田民生『59-60 奥田民生の仕事/友達/遊びと金/健康/メンタル』からの抜粋記事です。)