仕事ができる人は言わない…反論を消す“無敵の言葉”とは?
戦略コンサルやシリコンバレーの経営者、MBAホルダーには、共通点があった。「伝える内容を1つに絞り、1メッセージで伝えて、人を動かす」ということ。プレゼン・会議・資料作成・面接・フィードバックなど幅広い場面で成果を上げるノウハウをまとめた書籍『1メッセージ 究極にシンプルな伝え方』から一部抜粋して紹介する。
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仕事ができる人ほど使うのを避ける「無敵の言葉」がある
まわりから高く評価されていて、まわりから“仕事ができる人”などと呼ばれる人がいる。そのような人の多くが、会話をするときに使うのを避ける言葉がある。
「定義が曖昧な言葉」は会話において「無敵の言葉」になる
それは「定義が曖昧な言葉」だ。「定義が曖昧な言葉」は会話において「無敵の言葉」になる。たとえば、誰かを批判しようとしたときに、次のように言う。
「あの人は教養がない」
ちょっと聞いただけでは、それっぽく聞こえる。「教養」と聞くと、なんとなく良いもののように聞こえるので、良いものが身についていないのはダメなことのように聞こえるからだ。
しかし、この会話には問題がある。ここで「教養」がなんなのかが曖昧なことだ。教養とは目的から切り離された知識のことだろうか。それとも古典のことだろうか。そこには数学も含むのだろうか。いろいろな定義があり得るし、定義自体には正解はないので、言った人による定義や感覚次第で「教養」が決まってしまう。
このため、仮に教養がないと批判された人が「いや、わたしには教養がある」と反論しても、「いや、わたしの感覚では、あなたには教養がない」といくらでも言えてしまう。こうして、「定義が曖昧な言葉」は会話においてあらゆる反論をシャットアウトできる、言った人にとっての「無敵の言葉」に変貌するのだ。
しかし、「定義が曖昧な言葉」を使っていると“裸の王様”になるだけ
しかし、“仕事ができる人”とまわりから呼ばれるような人は、敢えてそのような「無敵な言葉」である「定義が曖昧な言葉」を使わなかったりする。その理由は、「定義が曖昧な言葉」を使ってばかりいると、誰からもなにも言ってもらえない“裸の王様”になってしまうからだ。
さきほどの「あの人は教養がない」という会話は、教養の定義が曖昧で、そう言った人の感覚で決められるため、相手やまわりはどうにも反論しようがない。こうして、その言った人が全ての評価の権限を持つ“王様”になれる。しかし、誰からもなにも言ってもらえなくなってしまう人を“裸の王様”と呼ぶならば、それは“裸の王様”への一歩なのだ。
完璧な人などいないように、完璧な意見だけを言える人などいない。それにもかかわらず、言う人にとって「無敵な言葉」である「定義が曖昧な言葉」を使ってばかりいると、まわりはなにも反論できず、やがて、誰からもなにも言ってもらえなくなってしまう。たとえ、明らかに間違ったことを言っていたとしてもだ。結果として、間違っているとまわりが思っているときでも、誰もそれを言ってくれず、それでも間違っていることを堂々と話す“裸の王様”になっていってしまう。
相手と「定義が揃う言葉」を使おう
自分が間違っているときには反論や否定をしてもらって、“裸の王様”にならないようにするためには、相手と「定義が揃う言葉」を使って伝えることだ。
「定義が揃う言葉」とは、相手と最初から定義が同じ言葉か、相手に定義を添えて伝えることで定義が一緒になる言葉だ。「定義が揃う言葉」を使って伝えることで、相手はその意見に対して、反論や否定が可能になり、それによって建設的な議論ができるようになる。自分も“裸の王様”にならずに軌道修正を適切にできるようになり、結果が出るようにもなるだろう。
たかが言葉の定義、されど言葉の定義。それ次第で、自分がまわりから“裸の王様”と思われたりもすれば、まわりから“仕事ができる人”と思われたりもするのだ。
(本原稿は『1メッセージ 究極にシンプルな伝え方』を一部抜粋・加筆したものです)









