「定年退職したら、好きなことをして暮らしたい」。そう考えている人は少なくないでしょう。しかし、いざ自由な時間が増えても、何をすればいいのかわからず、毎日を退屈に感じてしまう人もいます。一方で、年齢を重ねても、日々の生活を楽しそうに過ごしている人もいます。では、その違いはどこにあるのでしょうか。東大卒業後、コロンビア大学でMBAを取得し、日本マクドナルドCMO、Facebook Japan初代社長などを歴任。51歳から司法試験に挑戦し、57歳で合格した岩下充志氏の著書『夢をかなえる 勉強の地図』から、そのヒントを紹介します。

「年をとっても毎日が楽しい人」と「何もすることがなくなる人」の決定的な違いPhoto: Adobe Stock

人生を豊かにする楽しみとは?

「定年退職したら、好きなことをして暮らしたい」
「老後は仕事から離れて、のんびり過ごしたい」
そう考えている人は少なくないだろう。

毎日忙しく働いていると、時間に追われず、自由に暮らせる生活が魅力的に思えるものだ。
しかし、いざ仕事を辞めたとき、本当に毎日を楽しく過ごせるだろうか。

これまで当たり前のようにあった仕事がなくなり、会社での肩書きもなくなる。
自由な時間は増えたものの、何をすればいいのかわからない。

そんな老後を迎える可能性もある。
一方で、年齢を重ねても、毎日を楽しそうに過ごしている人もいる。

同じように時間があっても、退屈する人と、日々を楽しめる人では、何が違うのだろうか。

東大、コロンビア大学MBAを経て、日本マクドナルドCMO、Facebook Japan初代社長などを歴任し、50代で司法試験にも合格した岩下充志氏は、著書『夢をかなえる 勉強の地図』のなかで、人生を豊かにする意外な楽しみについて語っている。

年をとっても「毎日が楽しい人」は何が違う?

年齢を重ねると、日々の生活が単調に感じられることがある。
毎日同じようなニュースを見て、同じような場所に出かけ、同じような人と話す。

新しい刺激が少なくなり、以前ほどワクワクすることがなくなったと感じる人もいるかもしれない。
しかし、毎日の生活が同じように見えても、実はそのなかには、まだ知らないことがたくさんある。

たとえば、ニュースで報じられている出来事。
何となく眺めているだけでは、よくわからないことも多い。
しかし、その背景にある社会の仕組みを知っていれば、同じニュースでもまったく違った見方ができるようになる。

岩下氏は、50代で法律を学び始めたことで、そんな変化を実感したという。
著書では、次のように述べている。

それは、知識を得ることには、「世界の見え方が変わる快感がある」ということです。法律とは、いわば社会の仕組み。私たちの生活に密接したテーマです。ネットでの買い物、部屋を借りる際の契約、ニュースで報じられる刑事事件や、近隣トラブル。私たちの日常はすべて、法律というルールの下で動いています。
ですから、法律を勉強したことで、「なるほど、あの人が罰せられた根拠の法律はこれだったのか」「この契約書の一文には、こんな法的意味があったんだな」と、身の回りで起きている事象をより深く理解できるようになりました。
知識と日常がカチッとつながり、社会の理解の解像度が上がる瞬間には、得も言われぬ知的興奮があります。

――『夢をかなえる 勉強の地図』より引用

同じ景色でも、見え方は変わる

たとえば、旅行先で歴史的な建物を見たとしよう。
その建物について何も知らなければ、「立派な建物だな」と思って終わるかもしれない。
しかし、建てられた時代や、その場所で起きた出来事を知っていれば、どうだろうか。

建物の細かな装飾に意味を見つけたり、当時の人々の暮らしを想像したりできるようになる。
同じ場所を訪れていても、得られる楽しさは大きく変わるはずだ。

これは、日常生活でも同じことだ。
いつも見ているニュースも、毎日通っている街並みも、何気なく手に取っている商品も、背景を知れば新しい発見がある。

つまり、日常を楽しむために、必ずしも特別な場所に出かけたり、大きなイベントを用意したりする必要はないのだ。

老後の楽しみは、遠くに探しに行かなくてもいい

老後を充実させるためには、趣味を見つけたり、旅行に出かけたりすることが大切だと思われがちだ。
もちろん、それらも人生を楽しむ方法の一つだろう。

しかし、毎日を楽しむために必要なのは、何か特別なことをすることだけではない。

今まで知らなかったことを知る。
当たり前だと思っていたことに疑問を持つ。
身近な出来事の背景を調べてみる。

そんな小さな発見でも、日常の景色は変わっていく。

「最近、毎日が同じことの繰り返しだな」
そう感じたときこそ、何か新しいことを知る機会なのかもしれない。

年をとっても毎日を楽しめる人と、何もすることがなくなってしまう人。
その違いの一つは、日常のなかに新しい発見を見つけられるかどうかにあるのではないだろうか。