「ヨーロッパ」は、いつ、どのように生まれたのか。今では当たり前のように使われるこの言葉だが、かつての西ヨーロッパは、いくつもの王国が並び立つ分裂した世界だった。その歴史を大きく変えたのが、約1200年前に広大な帝国を築いたカール大帝である。現在のフランス、ドイツ、イタリアなどにまたがる地域を支配し、後世に「ヨーロッパの父」と呼ばれるようになったのはなぜか。単なる領土拡大にとどまらない、その歴史的な意味とは。書籍『地図で学ぶ「深読み」世界史』の著者が、学校の世界史では見落としがちなヨーロッパ誕生の原点を解き明かす。
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フランスもドイツも一つの国だった?カール大帝が築いた巨大帝国
「ヨーロッパ」という言葉を、私たちは当たり前のように使っている。しかし、ヨーロッパは最初から一つの文化圏だったわけではない。
西ローマ帝国が崩壊した後、西ヨーロッパにはさまざまなゲルマン系の王国が成立した。政治的にも文化的にも分裂した世界だった。
その中から大勢力を築いたのがフランク王国であり、その最盛期を作ったのがカール大帝である。
カール大帝は現在のフランス、ドイツ、イタリアにまたがる広大な地域へ支配を拡大した。もともとのフランク王国は、現在のフランスからドイツ西部にかけてを中心とする国だった。カール大帝はそこから東へ進み、30年以上にわたる戦争の末にザクセン地方を征服。南ではバイエルンを勢力下に置き、さらに現在のイタリア北部にあったランゴバルド王国を滅ぼして、その王位まで手に入れた。西南ではピレネー山脈を越え、イベリア半島北東部にも勢力を伸ばしている。
つまりカール大帝の帝国は、現在の国境でいえばフランス一国に収まるようなものではない。現在のフランス、ドイツ、ベルギー、オランダ、スイス、オーストリア、そしてイタリア北部など、西ヨーロッパの広い範囲を一つの支配のもとに置いたのである。
800年、カール大帝はなぜ「ローマ皇帝」になったのか?
そして800年、ローマ教皇から皇帝冠を授けられる。この出来事は、単に一人の王が偉くなったという話ではない。古代ローマ帝国が滅んだ後の西ヨーロッパで、「キリスト教」と「ローマ帝国」という二つの伝統を結びつけた新しい政治秩序が生まれたことを象徴している。
後世のヨーロッパは、フランス、ドイツ、イタリアなど多くの国家へ分かれていく。
それでもキリスト教やラテン語文化、古代ローマへの意識といった共通項は残り続けた。だからカール大帝は、しばしば「ヨーロッパの父」と呼ばれる。
なぜ1200年前の皇帝が、今も「ヨーロッパの父」と呼ばれるのか?
面白いのは、現在のヨーロッパ統合を考える際にもカール大帝の名前が登場することである。国境を越えて「ヨーロッパ」というまとまりを考えようとすると、その原型の一つとして彼の帝国が思い出されるのだ。
世界史の教科書では、「フランク王国」「800年」「皇帝戴冠」と暗記して終わってしまいがちだ。しかし問いを一つ変えてみる。
「そもそもヨーロッパはいつできたのか?」
そう考えると、カール大帝は突然、現代につながる人物として見えてくる。









