【大人の教養】最強モンゴル軍の侵攻後、なぜホルムズ海峡は繁栄したのか?
「地図を読み解き、歴史を深読みしよう」
本連載では、海峡・山脈・河川などの地形を手がかりに、世界史を読み直していく。著者は代々木ゼミナールの世界史講師で、「地図の鬼」と呼ばれる伊藤敏氏。オリジナル地図を通じて、ホルムズ海峡やシルクロードなどの歴史的背景を立体的に理解でき、歴史と地理を同時に味わうことができる。本稿は、伊藤氏の近刊『地図で学ぶ「深読み」世界史』を一部抜粋したものだ。
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最強モンゴル軍の侵攻後、なぜホルムズ海峡は繁栄したのか?
ホルムズ海峡は、中東とインドを結ぶ重要な海上交通路として古代から多くの船が行き交ってきました。前2700年頃のシュメール人の記録には、現在のバーレーンに比定される「ディルムン」と、インダス文明を指すと考えられる「メルッハ」が登場し、ペルシア湾を通じた交易が早くから行われていたことがわかります。現在のクウェートでは前6000年紀中期の船も発見されており、この地域の人々が古くから海上貿易に積極的だったことを示しています。
ディルムンの衰退後は、アラビアの都市ゲラが海上・陸上交易の結節点として栄え、さらに後300年頃にはラフム朝がペルシア湾へ進出しました。ラフム朝はサーサーン朝と結びつき、のちにその被保護国となります。
7世紀にイスラーム勢力がラフム朝やサーサーン朝を征服すると、ペルシア湾とホルムズ海峡をめぐる交易はムスリム商人の手に移りました。ウマイヤ朝やアッバース朝の時代には、バグダードとバスラがティグリス川や運河で結ばれ、バスラは軍営都市から港湾・穀物集積地として発展します。しかし9世紀のザンジュの反乱、13世紀のモンゴル来襲、14世紀のティムールの侵攻によってイラク南部とバグダードは荒廃し、ペルシア湾口の繁栄は終わりを迎えました。
ホルムズ島の繁栄と争奪戦
イラク南部の荒廃によってホルムズ海峡沿岸一帯に本格的に注目が集まったのが、海峡の中部に位置するホルムズ(オルムス)島でした。ホルムズ島は面積約42㎢、直径約8kmのほぼ円形の島で、イランの沿岸に最も近い地点からの距離は、わずか6km程度に過ぎません。
この小さな島にすぎないホルムズ島が、様々な勢力の争奪の対象となるのです。
ホルムズ海峡とモンゴル帝国との意外な関係
すでに11世紀より、オマーン地方からの移住者がこの地にホルムズ王国を建国し、当初のホルムズ王国はセルジューク朝(トゥルクマーン=遊牧テュルク系氏族による王朝)の地方政権であったケルマーン・セルジューク朝の従属国として成立します。
ケルマーン・セルジューク朝は13世紀にモンゴルが進出すると、モンゴルのウルス(政権)であるイル・ハン国の従属下に置かれ、これによりホルムズ王国の自立が進むことになります。13世紀のホルムズ王国はペルシア湾の両岸を支配し、アラビア海の沿岸一帯にその支配を及ぼすなどして全盛期を迎え、国際商業の中心として大いに繁栄したのです。
1301年には新市街が建設され、15世紀には中国・明の鄭和の艦 隊も寄港し、ホルムズ王国の繁栄ぶりを記録しています。
(本原稿は『地図で学ぶ「深読み」世界史』を一部抜粋したものです)









