今年3月、仏経済学者トマ・ピケティ氏の著書『21世紀の資本論』の英訳版が米国で発売されるやいなや、700ページ近い大著にも関わらず大ベストセラーとなり話題を振りまいています。約200年分の税務統計を解析したうえで、世界的な格差拡大をあらわし、これを是正するために提唱した国際的な累進課税構想も含めて、賛否両論が吹き荒れています。翻って、日本でも格差は拡大しているのか?また、その内実に変化はあるのか?『希望格差社会』など多くの著書で知られる中央大学文学部教授の山田昌弘さんに聞きました。

日本の問題は収入差の拡大より、むしろ<br />いろいろな格差の「固定化」が進んでいることだ山田昌弘(やまだ・まさひろ)中央大学文学部教授。1957年生まれ。86年東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。東京学芸大学教授などを経て、2008年より現職。専門は家族社会学。『パラサイト・シングルの時代』(筑摩書房、1999年)『希望格差社会』(筑摩書房、2004年)『新平等社会』(文藝春秋、2006年)『なぜ日本は若者に冷たいのか』(東洋経済新報社、2013年)『「家族」難民』(朝日新聞出版、2014年)など著書多数。

——ピケティは「戦後の一時期を除いて資本収益率(株式や不動産など資本の投資利回り)が経済成長率を上回る構図にあり、特に1980年代以降はその傾向が顕著となって、富が一部に集中し、社会の格差は拡大傾向にある」と結論づけ、日本もその例外でない、と述べています。

 いろいろな意味で格差が拡大してきていることは、ピケティ以前から言われてきました。日本でも、いわゆる従来型の正社員と、非正規社員やフリーターなどとのあいだの格差が広がり、それが収入以外にも大きな格差をうみ、将来に希望を持てる人と絶望する人に二極化するとして、私はこれを「希望格差」と称して論じました。その背景には、米国の労働経済学者ロバート・B・ライシュ(クリントン政権下の労働長官)が主張した「仕事が徐々に専門性の高い労働と単純労働に分断されていく」点などがありました。

 ただ、ピケティの指摘する資本の所有による格差が、日本でどれだけ影響しているのかは、何ともいえません。

——確かに、日本におけるストック面の格差は不動産価格の影響をかなり受けそうですし、より詳細な分析が求められるのかもしれません。件の本では、富裕層への富の集中について、高所得層の上位1%が占める国民所得のシェアが、米国ほど急激ではないにしろ、日本でも緩やかに上昇しつつある、とのことでしたが…。

 多少は高所得層の比率が上がっているでしょうが、日本の場合、すごい富裕層はいません。上位層の取り分が増えることより、むしろ、「上位層が固定化されていること」のほうが問題ではないでしょうか。アメリカの上位1%はかなり入れ替わりが激しいのに対して、日本の上位層は安定的で変化がありません。つまり、年数を重ねるほど格差が徐々に拡大していきます。

 繰り返しになりますが、日本の場合は、収入格差の拡大というより、いろいろな意味で格差の固定化が進んでいるのが特徴です。「資本」と言っても、金融資本だけでなく学歴資本とか文化資本とか、お金に換算されない資本があって、それの格差が日本では固定化されつつあるのではないでしょうか。

——かねて、ご著書『希望格差社会 負け組の絶望感が日本を引き裂く』(2004年、筑摩書房)や『新平等社会 「希望格差」を越えて』(2006年、文藝春秋)などで指摘されてきた「格差の固定化」問題ですね。

 その理由として、大きくふたつが考えられます。ひとつは、特に日本を含むアジア社会では親が子どもにたくさん投資するので、親にお金や知性があるかどうかが子どもに直接的に影響すること。そして、もうひとつは、大学卒業時の格差が固定化してしまうこと、です。

 もちろん能力の有無もありますが、若いときにできた格差が一生続いてしまう環境こそが問題です。高度成長期はピケティも指摘しているように、労働の取り分が大きかったこともありますが、いわゆる“逆転”や“追いつく”チャンスがたくさんありました。しかし、低成長期に入ると、若い頃の格差は取り返しがつきません。

 日本の格差自体は世界的にみれば小さいように見えますが、私が「希望格差」と呼んだように、“努力しても報われない若者”をうむと将来どうなるか。