政権交代によって、大きな注目を浴びることとなった八ッ場(やんば)ダム。群馬県吾妻郡長野原町で進められていた八ッ場ダム本体の建設については、中止か否かを巡り、地元住民と政府の間でいまだに意見が割れている。だが、そもそもダム行政を財政面からしか論じないこと自体、不自然ではないか。八ッ場ダム問題は、見方を変えればダム行政の「本来あるべき“利”」を再認識するきっかけにもなる。その理想的な“落としどころ”について、考えてみよう。(取材・文/友清 哲、協力/プレスラボ)

中止にも継続にも巨額の費用
もう財政議論ではらちが明かない?

 「建設中止か続行か」で揺れに揺れた「八ッ場(やんば)ダム問題」。つい先週開かれた衆院国土交通委員会では、参考人として川原湯温泉旅館組合・豊田明美組合長らが出席し、八ッ場ダム本体の中止問題をめぐる集中審議が行なわれた。

 この席で豊田氏は、「ダムが中止されると、生活再建をまたゼロベースで考えなければならない。我々にはそのような時間も、経済的余裕も、精神的ゆとりもない」と、ダム建設の必要性を訴えた(毎日新聞3月17日付より)。

 強行に建設中止を唱える国と、建設続行を求める住民――。本来、公共事業の再評価は良策であるはずだが、政権交代後初となる通常国会に入った今も、議論の落としどころにメドは立っていない。そればかりか、関係者の感情は、修復が難しいと思われるレベルまでこじれてしまっているようだ。

 だが、この八ツ場ダム問題は、実は単なる「公共事業の見直し」という議論に留まるものではない。これまであまり言及されなかったが、日本のダム行政の根底には、もっと議論すべき重要なテーマがある。経済全体から見れば、建設の中止が凶と出る場合もあれば、吉と出る場合もあり得るのだ。

 改めて、これまでの経緯を振り返ってみよう。熊本県・川辺川ダムと群馬県・八ッ場ダムの建設中止は、そもそも昨夏の衆議院議員総選挙において、民主党が当初から掲げていたマニフェストにおける目玉政策の1つだった。

 騒動の発端となったのは、鳩山政権が正式に発足し、国土交通大臣に就任した前原誠司氏が、就任直後の会見で「八ッ場ダムの事業中止」を明言したことである。