
ただ貧しいだけでなく、貧「困」の状況から自力で抜け出すことのできない人たちの一部には、共通点があるという。それは一見すると「だらしなさ」に見えるが、実は当たり前のことができないという苦しみを負っているというのだ。2015年に脳梗塞(こうそく)を発症し、脳の認知機能障害「高次脳機能障害」を負った筆者が、身をもって体験することになった「不自由な脳」と貧困との関係性を解説する。※本稿は、鈴木大介『貧困と脳 「働かない」のではなく「働けない」』(幻冬舎)の一部を抜粋・編集したものです。
レジで支払いをしようとしても
頭の中の数字が飛んでしまう恐怖
入院病棟内にある小さな売店で、僕は店員が口にした、そして目の前のレジスターに液晶表示されているたった3桁の支払い額を、財布から出すことができなかった。
店員が「788円です」と言う。だが手元の小銭入れに目を落とした瞬間、もう788の数字が頭にない。液晶表示で再確認しても、目を離した瞬間に788は頭から消える。
ならば100円玉7枚から数えよう。小銭入れに集中し、100円玉を手に取っていく。だが今度は、数枚数えた時点で、自分がいま何枚の硬貨を数えたのかがわからなくなる。何度も何度も数えては失敗し、振り出しに戻った。
頭の中の数字が飛ぶのは、液晶表示や手元の硬貨から目を離した瞬間だけではない。店内のチャイム、隣のレジの店員と客の声、果ては店外の廊下から届く人の声や院内のアラーム音など、あらゆる音が耳に届いた瞬間、頭の中で数字を書いてあったノートがボッと燃えて消え去るように、何も残らなくなる。
その都度「邪魔されている」「脳内の記憶を奪われている」といった苛立ちの感情が胸に膨れ上がり、その場で叫び出したい気持ちになった。
「ワーキングメモリ」(作業記憶・作動記憶)という言葉は、病前の取材仕事の中で何度も聞いた用語だった。それは極めて短期の記憶。思考や計算などのために、頭の中に短時間留めておく脳内ノートのような機能を言う。
頭の中に留めおこうとしたレジ会計額が、言われた先、見た先から飛んでしまうのは、まさにこのワーキングメモリの機能低下を示す典型的な症状だ。外部の音に妨害されていま頭の中にあったはずの数字が消えてしまうのは、注意機能の低下(注意欠陥)の症状。