ジョセフ・ジュラン ジョセフ・M・ジュラン博士はカリスマ的な伝説的人物であり、品質管理に対する多大な貢献で世界的に認められている。品質に関する現代の概念の多くが彼の功績により形成されたものである。

 彼はTQM(総合的品質管理)の第一人者の1人として語られることが多いが、彼の研究のほとんどは実際にはTQMの先を行くものであった。
日本における品質運動の仕掛け人の1人と見なされており、世界中の製造業に対する彼の影響力は計り知れない。

人生と業績

 ジュランは1904年オーストリア・ハンガリー帝国(現ルーマニア)の小さな村に生まれた。彼は4人の子供の3番目で、子供時代は貧しい暮らしが長かった。彼の父親は、1909年に家族の元を離れアメリカに働き口を求め、およそ3年後には家族をミネソタに呼び寄せられるだけの財を蓄えていた。

 ジュランのアメリカの学校での成績は優秀で、数学と理科がずばぬけており、すぐに3学年分の飛び級をした。彼は1920年にミネソタ大学に入学し、家族で初めて高等教育を受けることになった。1924年に電気工学の理学士号を取得し、1936年にはロヨラ大学で法学博士号を取得した。ジュランは多くの優れた手引き書や訓練講座を世に送り出し世界中に広めた。彼の全作品は多くの人々に読まれ、トータルで16ヵ国語に翻訳された。彼は世界中で40以上の名誉博士号や名誉会員の地位、勲章を授与されている。日本での品質に関する貢献に対し、彼は「日本における品質管理の発展と日米の友好促進」のために勲二等瑞宝章を授与された。またアメリカではナショナル・メダル・オブ・テクノロジーを与えられた。

 1924年に技術者として出発したジュランは、ウェスタンエレクトリック社の有名なホーソン工場の検査部門で働いた。この最初の仕事が彼の品質に対する興味を刺激した。工場は巨大で、4万人ほどの従業員を抱え、うち5000人が検査要員だった。ジュランは確実な記憶力によって職場の百科事典的知識を蓄えた。彼の知能と分析能力は早くから認められ、一連のライン管理やスタッフ部門の業務を経てスピード出世していった。

 1926年、ベル研究所から統計的品質管理の専門家チームが、ホーソン工場の手法や技法のいくつかを実際に適用するために工場にやってきた。ジュランはその訓練プログラムに参加する20人のメンバーの1人に選ばれ、後に新設された検査統計部に配属された2人の技術者のうちの1人に任命された。

 彼が最初の作品『製造上の問題に応用する統計手法』
(Statical Methods Applied to Manufacturing Prob-lems)を著したのはこの任務に当たっていたときである。

 1937年頃にはジュランはニューヨークにあるウェスタンエレクトリック本社で生産工学の責任者になっていた。彼は社内コンサルタントとでもいうべき立場になり、他社を訪問し品質や生産工学について意見を交わしていた。