今シーズンの西武は最下位に終わり、途中で松井稼頭央監督が休養するなど低迷した。ただ、西武はかつて常勝軍団と呼ばれ、パ・リーグを牽引した球団だ。そんな黄金期の西武で打撃コーチを務めていた広野功氏が、強かった西武を振り返る。本稿は、沼澤典史『野球に翻弄された男 広野功・伝』(扶桑社)を一部抜粋・編集したものです。
「球界の寝業師」根本陸夫から呼び出し
「森が求めたのはお前だけだ」
1987年のシーズンが終わると広野功の元へ電話が入った。相手は西武の球団管理部長で、実質的GMでもあった根本陸夫である。根本は監督として西武黄金期の礎を築き、その後、管理部長として巧みなスカウトやトレードで球団を支えた「球界の寝業師」と呼ばれた男である。
「話があるから、東京プリンスホテルに来い」
広野が向かうと部屋の中で根本が待っていた。大正生まれで数々の修羅場を経験した根本は、険しい顔つきで広野に告げた。
「森(編集部注:森祗晶監督)がどうしてもお前がほしいと言うから、契約する。1800万円だ」
そして、根本はこう続けた。
「広野、よく聞け。今の首脳陣は俺が全部決めた。ただ、森が唯一どうしてもと言ったのがお前だ。森が呼んだのはお前だけだ。どういうことかわかるか。森が『カラスは白い』と言えば、お前も白いと言うんだ」
森の側近として忠誠を誓え、という根本なりのメッセージだった。
森が広野を求めた理由の第一は、「清原(和博)を立て直せ」。打撃コーチに就任した広野に、森はそう厳命したのである。