田中史朗引退会見後、サプライズで、登場した松島幸太朗(左端)と松田力也(右端)田中史朗引退会見後、サプライズで、登場した松島幸太朗(左端)と松田力也(右端)=2024年04月24日新宿区Photo:SANKEI

日本ラグビーが誇る小柄なスクラムハーフ・田中史朗が、葛藤の末、39歳で引退を決断。2024年4月に開かれた引退記者会見で、田中を待っていたのは、涙腺崩壊のサプライズ祝福だった。初めて明かされるその舞台裏からクライマックスまで、もらい泣き必至の一部始終をお届けする。本稿は、金子達仁『田中史朗 こぼした涙の物語』(宝島社)の一部を抜粋・編集したものです。

引退か、現役続行か
決断を迫られる田中史朗

「まだできるって気持ちはあったんですけど、一方で、試合に出られない自分にできることは何か、考えるようになりました。で、若い選手の練習につきあって、パスとか見てあげてるうち、頼ってくれるというか、相談してくれる子が増えてきて、少しずつですけど、それが楽しくなってきて」

 グリーンロケッツ(編集部注/田中が所属するNECグリーンロケッツ東葛)の首脳陣や選手と酒を酌み交わせば、この先どうやって生きていくべきか、という話にもなった。教えるということに魅力を感じ始めていた一方で、現役を続けたい、できればサッカーのカズのようになりたいという思いも、田中にはあった。

「身体が動く限りはやる。スーパーラグビーでやった。パナソニックという強豪でもやった。中堅のキヤノンにいて、2部のNECにもいた。じゃあ来年、3部のチームにいけば、ほとんどすべてのカテゴリーでやったことになる。そういうのもいいなとは思いました」

 10年来の付き合いになるマネジメント会社の社長、柴田耕治とも話し合った。

「この先も現役を続けていって、もっともっと試合に出られなくなって、そのうえで辞めたら、そりゃそうだよな、まだやってたのかってことになる」