「すべて」が
妥協する二つの会議

 北京で1年に1度の“両会”が開催されている。「全国人民代表大会」と「全国政治協商会議」が両方同時に行われることからこのように呼ばれる。「この時期、“すべて”がこの会議に妥協する」。中国では政治が“すべて”に優先することを象徴するかのようだ。

 私の周りだけを見ても、最近2つのことが“両会”によって妥協された。ひとつは、3月10日前後に北京で開催予定であった書籍の発表会兼座談会が3月20日以降に延期された。理由は「“両会”の前、期間中はアクションを取らないほうがいい」というものだった。もう一つは、先週ある新聞紙に掲載されるはずだった評論記事が少なくとも1週間延期された。理由は「現状から、“両会”期間中は関連テーマ以外の記事は載せられない」というものだった。

 “両会”というのはそういうもので、中国で生活する限り、また中国と関わり続ける限り、政治との“縁”は切れないのだと、改めて実感している。

「政治がすべて」と言えば、2017年は秋に共産党の第19回大会が開催される。今年の“両会”もその前提、つまり、秋に党大会が行われるという文脈の中で語られている。“両会”は一年に一回、党大会は5年に1回。後者の政治的重要性のほうが濃厚であるのは言うまでもない。その意味で、いま現在行われている“両会”は約半年後に同じ場所で開催される党大会のためにあるといっても過言ではない。経済政策も、外交戦略も、社会安定も、軍事展開も、すべてが政治の論理で実践される。党の19回大会を円満に迎え、共産党の正統性を内外にアピールするためである。

“すべて”が
秋の党大会に向かう現実

 “すべて”が秋の党大会に一直線に向かっていく現実を改めて実感させられた“両会”を眺めながら、私は昨年12月、北京で行われた《2016年国際情勢と中国外交》というシンポジウムで基調講演をした王毅外相の言葉を思い出していた。