「出資をするから、独立しないか」

 万事休す……。
 このとき、私はそう思いました。そして、妻にこう話しました。
「いま手元に300万円ある。日本に帰って、これでやり直そう」
 妻は黙って聞いているだけでした。無念でした。しかし、取引先から責め立てられているうえに、見込んでいた報酬もなくなる。もう、ここでは生きていけない。悔しかったですが、そう認めざるを得なかったのです。

 私は、取引のあった日本のメーカー10社とお世話になった工場のオーナーに、これまでの経緯と日本に帰国する旨を伝えました。「無念ですが、もうマレーシアではやっていけません。これまでお世話になり、ありがとうございました」。そう頭を下げて回りました。

 そして、華僑のボスにも辞表を出し、帰国の準備に取り掛かろうとしていたときでした。繊維工場の華僑オーナー7名から「我々が出資をするから、独立しないか?」と持ちかけられるとともに、日本のメーカー10社も「小西君がいなくなると、マレーシア・シンガポールでの販路がなくなる」と全面的なサポートを申し出てくれたのです。

 思ってもみないことでしたから、驚きました。しかし、もともと事業家として何事かを成し遂げるために日本を飛び出したのですから、願ってもない申し出でした。そこで、妻に相談しました。すると、妻はニッコリ笑うと、「あなたの思うようにすればいいんじゃない?」と言ってくれました。その笑顔を見て、私は独立を決心したのです。

 なお、リベートで痛い目にあった私は、独立後は一切のリベートを断ってきました。これは、現在に至るまで1ミリたりとも揺るがせにしない、テクスケム・グループの鉄則となっています。