多数の仏メディアで話題となった全仏ベストセラー!
世界22ヵ国で翻訳された猫に教わる人生指南書の日本語版『猫はためらわずにノンと言う』がこのたび遂に刊行された。
他人の目は気にせず、決して媚びず、欲しいものは欲しいと言い、プレッシャーに屈せず、エレガントで自信に満ち、ひとりでも平気……子猫の時に事故にあい、左前足を失くした猫ジギーが、そんなハンディキャップをものともせず、むしろ「それが何か?」と気にもかけずに振る舞う姿は、常に他人の目を気にして、何かに追い立てられ、せわしく動きまわっている人間たちに、自分らしく生きるために本当に必要なことは何かを伝える本書から、一部抜粋して紹介する。
猫を飼っている人、猫好きな人だけでなく、猫のように、そこにいるだけで自然と一目置かれる存在になりたい人にも役に立つ!
何気なく見ていた猫たちの日常の仕草には、猫だけが知る深い人生哲学が込められていた!明日から、猫を見る目が変わります。
必要な時には、とことんスリスリ、ゴロゴロしよう
(ステファヌ・マラルメ/詩人)
愛情や優しさの表現である愛撫だとかキスを、誰もが必要としている
人間は時に怠けてそういった愛情表現をしないこともあるが、猫は満足するまで要求してくる。
人間もパートナーの体にぴったりと身を寄せ優しく抱き合う必要があるように、猫も飼い主と一体になってゴロゴロしたいことがある。
この「愛情表現」の必要性は、何よりもまず私たち自身が愛情を必要としていることと関連している。
フロイトは人生最初のトラウマは誕生時にへその緒を切ることだと言っている。母親との愛情関係が物理的に永遠に切断されてしまったということだ。
私たちはその後、友情や愛情を通してもう一度、この関係を築こうとする。人生の中であらゆる関係性を通して愛情の源を探し求めているのである。
愛情不足であればあるほど、他人との関係の中で量的に多くの愛情を求めるものだ。
しかし私たち人間も、猫のようにいったん満たされてしまったら、再び愛情不足を感じるまでは相手と距離を置いてしまう。
私たちがどのくらい他人の愛情を感じたいか、その度合いは私たち一人ひとりが自分自身をどのくらい愛せているかによる。
うんと甘えたい人もいれば、少し距離を置きたい人もいる。日によって必要な愛情の量も違う。
それでも程度の違いすらあれ、私たちは例外なく皆、優しさや情などを求めている。
私たちは愛情をパートナーに求めるが、猫もまた人の腕に鼻づらを埋めてくる時、私たちに愛情を求めている。
私たちが猫から愛情をもらうように、猫もまた私たちの愛情が欲しいのだ。
普段、気持ちがいいからスリスリする時とは違って、あまりにも愛情に飢えてよだれを垂らしたりすることさえある。そして必要な愛情の量が満たされたら、去ってゆく。
私たちも、実際に触れ合う身体的な愛と頭の中の精神的な愛との両方ともが生きていくうえでは必要不可欠。なんとしてでも手に入れなければならないものだ。
愛がなければ、私たちも猫や花と同じように日々、少しずつ干からびていってしまう。
だから、大昔から命あるものは「愛」というエンジンなしには生きていけないことになっている。
誰にでも愛情は必要。
でも、愛情を得ようと思ったら、
同じだけの愛情を与えなければならない。
幸せになるためにそれを忘れてはいけない。
愛なしの幸せな人生なんて想像できるだろうか。