田んぼでの米作りから醸造まで
海老名の老舗酒蔵の挑戦
農林水産省の資料によると、日本酒の国内出荷量は1973年の約170万キロリットルをピークに年々減少を続け、2015年の時点で60万キロリットルを割り込んでいる。若者の酒離れやワイン、焼酎、発泡酒、リキュール、ハイボールなど嗜好の多様化も進み、日本酒にとっては厳しい向かい風が吹いている。
そんな中、“日本酒のドメーヌ”と呼ばれる独自の一貫体制と、地域との一体経営によって成長を続ける老舗酒蔵がある。安政4年創業、神奈川県海老名市で160年にわたり日本酒を生産し続ける「泉橋酒造」である。代表銘柄は「いづみ橋」「とんぼラベル」だ。
ドメーヌとはブルゴーニュ地方において、ぶどう畑を所有し、ぶどうの栽培から醸造、熟成、瓶詰まですべて自分たちで行うワイン生産者のこと。泉橋酒造は、自社の田んぼでの米作りから精米、醸造まで一貫して取り組む栽培醸造蔵である。これが“日本酒のドメーヌ”と呼ばれる所以だ。さらに、同社は16年7月、地元に直営レストランをオープンし、田んぼからテーブルまでという全国でも稀有な一貫体制を確立した。
こうした自社による一貫体制は、酒造りに対する並々ならぬ情熱とこだわりが生んだもの。それは6代目となる現当主、橋場友一社長が家業を継いだ1995年から始まった一大改革だった。その端緒は、全量純米酒への転換。純米酒とは、米と米麹だけで造られる日本古来の日本酒で、醸造用アルコールを混ぜる醸造酒とは根本的に異なる。
折しもこの年、食糧管理法が廃止になり、農協を通さずとも自由に米の売買ができるようになった。これは、簡単に言うと米を作った人の顔が見える、安心・安全の酒造りが可能になったことを意味する。「私はこれを好機と捉え、良質の純米酒を造るために、安全で質の高い酒米を自分たちで生産しようと決意したのです」と、橋場氏は往時を振り返る。
そして翌96年、地元農家と酒米作りを始めた。地元の農家や飲食関係者が集まり、一体となって田植えを行い、秋の稲刈りをする。参加者は回を重ねるごとに増えていき、今や一般市民も巻き込んで200人前後の人々が集まる一大イベントに発展した。日本酒の原料である米作りから地域が一体となって田植えを行い、そこで稲が育ち、米が収穫され、その米が日本酒になっていく。自ずとその酒に対する愛着も強くなるのである。