交通事故で両足を失ったひとの幸福度を調べると、事故直後は(当然のことながら)不幸に打ちのめされますが、数ヵ月で事故前と変わらないところまで幸福度が戻ります。なぜこんなことが起きるかというと、ひとには(より正確には脳には)自分に起きた出来事をポジティブに考える癖があるからです(すべてのことを自分に都合よく解釈する、ともいえます)。

 傷が癒えて車椅子に乗る頃になると、最初に思っていたよりもずっと自由に動けることがわかります。家族や見舞いに来た友人から、「あんな事故で生きている方が奇跡だ」といわれることもあるでしょう。こうして車椅子生活に慣れる頃には、「自分は運がよかったんだ」とポジティブに考えるようになり、幸福感が増してくるのです(パラリンピックを目指してトレーニングを始めるかもしれません)。

 配偶者や子どもと死別したときは大きなこころの痛みを感じるものの、それもやがて癒えて数年で幸福感はもとに戻ります(大人になってから兄弟姉妹と死別した場合は、ほとんど不幸を感じないようです)。死別ですらこの程度ですから、離婚のこころの痛みは数ヵ月で回復し、女性の場合は結婚していたときよりも逆に幸福度が上がります。これもやはり、無意識のうちにポジティブなことを探そうとするからでしょう(ニック・ポータヴィー『幸福の計算式』CCCメディアハウス)。

 こうした研究からわかるのは、幸福は逃げ水を追いかけるようなもので、けっして手に入れることができないということです。

 進化論的にいうならば、ヒトは不幸からの回復力(リジリエンス)を手に入れるために、幸福を犠牲にしています。人生のさまざまな出来事に遭遇して一時的には幸福になったり不幸になったりしますが、その感情はいずれいつものレベル(それはおそらく遺伝的・生得的に定められている)に戻っていくのです。

 人生設計の理想のポートフォリオを手に入れれば、家族関係や健康問題のようなどうしようもないもの(運命)を除けば、日々のストレスはほぼなくなります。しかしそれは、主観的には、「他人よりもちょっと幸せ」といった程度のものかもしれないのです。

(作家 橘玲)