代表格は、政治家に転身した中山成彬・恭子夫妻。成彬氏は国土交通大臣を、恭子夫人は拉致問題担当大臣などを務めた。接待汚職事件で大蔵官僚としてのキャリアを絶たれたが、京セラの理事や船井電機の最高顧問など、財界で新たな道を築いた中島義雄氏もそうだ。

 同じく、武藤、中島と並び称されていた長野庬士氏は、弁護士に転身して、四大法律事務所のひとつである西村あさひ法律事務所のパートナーに就任するなど、実に多士済々が居並ぶ。

「その前を遡ると、まだまだ『花の』はあるのですが、本当の意味での最後は、54年組でしょう。今後、二度とそう呼ばれるような期は出ないでしょう」と、国家公務員試験をほぼトップの成績で通過した経歴を持つ、財務省関係者は語る。

 その上で、次のように嘆く。

「良くも悪くも、財務官僚はエリート学生の憧れの職業ではなく、ある程度優秀なら、誰もが手の届く職業になってしまいました。政治家に普通の人が増え、その小粒化に非難が集中していますが、それは官僚も同じこと。良くも悪くもキャラの立つ、スーパーエリートは財務省を目指さなくなった。若手を見ていると、あまりの色のなさに驚くことがありますね。財務省はすでに普通の“会社”になりつつある。もちろん役所なんですが…」

同期3人次官を出し
最後の絶頂期に

 では、財務省の最後の絶頂期を作り上げ、その後の凋落の原因ともなった「花の54年組」とはいったいどういう期だったのか。

 54年組は、木下康司から始まり、香川俊介、田中一穂と第10~12代までの次官職を独占、前例のない“同期3人次官”を成し遂げたことで知られる。それまでに“同期2人次官”というのはあったが、それでも22年組(大倉真隆、長岡貫)、28年組(吉野良彦、西垣昭)、49年組(杉本和行、丹呉泰健)の3期だけ。それぐらい、3人次官というのはレアケースといえる。