『週刊ダイヤモンド』2018年8月25日号の第一特集は「平成経済全史 さらばレガシー、その先へ」です。30年にわたった平成年間の変化を、豊富なデータや写真、イラストを用い、さまざまな角度から検証した保存版です。果たして30年間で日本は何が変わったのか、そして何が変わらなかったのか──。平成最後の夏に、振り返ってみました。

 戦争と平和、貧困と繁栄という明暗で彩られた六十余年にわたる昭和時代が幕を閉じ、1989年1月8日、平成時代が始まった。

 同年の「週刊ダイヤモンド」1月21日号では、「“平成景気”への期待」という特集を組んでおり、斎藤精一郎・立教大学教授(当時)が、こんな談話を寄せていた。

「改元は、激動の昭和時代に心理的なピリオドを打つことで、21世紀を展望する平成時代へ、人々を本格的に立ち向かわせる契機を供する。身の回りから企業経営の現場までリシャッフル現象が広がるかもしれない」

 当時は確かに、新しい時代の始まりとともに、あらゆる領域で新旧交代が進むという空気があった。

 例えば現在、安倍晋三首相の肝いりで「働き方改革」が進められているが、その問題意識はすでに『平成元年版 国民生活白書』で指摘されており、「国民の所得水準が世界トップクラスになった半面、ゆとりを保障する労働時間の短縮が進んでいない」などとある。

 しかし、そうした課題を掲げながらも、実質的には30年間ほとんど前に進んでいなかったのだ。

世界時価総額ランキングの
上位50社中、日本企業は32社!

 思えば平成元年、日本経済は“山”の頂上にいた。当時の世界時価総額ランキング上位50社中、日本企業が32社を占めていたし(今はたった1社だ)、GDP(国内総生産)をはじめとする各種経済指標も日本は世界のトップ水準にあった。日経平均株価は平成元年12月29日の大納会で3万8915円を付けた。地価高騰も凄まじく、東京23区の地価が米国全体の地価の合計を上回るといわれた。

「株も土地も永遠に上昇を続ける」。今では耳を疑うような話だが、“山”の頂に登った当時は、国も金融機関もそう信じて疑わなかった。

 これらの現象はバブルだったとわれわれは後に思い知らされるが、当時は「これこそが新しい時代」と錯覚していたのかもしれない。

 その後のバブル崩壊と、日本の凋落ぶりは今更言うまでもない。バブル崩壊後の“負の遺産処理”には「失われた20年」と呼ばれるような長い時間を空費した。

 そしてその間、日本から「変革への機運」も失われていった。生活様式は変わり、働き方も多様化、労働人口や消費構造など、社会を形成するあらゆる土台が変化するにもかかわらず、決別するべきだった昭和の価値観はいびつな形で居座り続けた。

 最近では、ダイバーシティ(多様性)の意味を全く理解していない自民党の議員が非難を浴びたが、日本大学や日本ボクシング連盟は今でも“昭和のリーダーシップ”で動いていることが露呈した。

 惰性による停滞──。結局、30年を経てもなお、昭和という“レガシー(時代遅れの遺物)”を引きずったままという感は否めない。

 もっとも、その中でも軽やかに新しい時代に適応した層は猛スピードで先を走る。主にデジタル分野では「新しい資本主義」ともいうべき経済ルールが台頭しており、もはや停滞は許されない。

 結局、平成とは、昭和と次の変革の時代をつなぐ、長い助走期間にすぎなかったのかもしれない。

豊富なデータや写真で
平成30年間を振り返る「保存版」

「週刊ダイヤモンド」2018年8月25日号の第一特集は「平成経済全史 さらばレガシー、その先へ」です。

 30年にわたった平成年間の変化を、豊富なデータや写真、イラストを用い、さまざまな角度から振り返った保存版です。

 平成元年の本誌記事からは、当時の熱狂ぶりを窺ったり、銀行・証券・生損保、通信、小売りの5業界については、全340社が登場する30年間の業界再編マップを掲載。「あの会社は今、どこに?」という素朴な疑問が解消するかも。

 国勢調査から見た「30年間で増えた職業、減った職業」、平成元年の経営者の持ち株資産額トップ10と現在の比較も興味深く、産業の栄枯盛衰が見えてきます。さらには、平成のあいだに皇室が訪問した98の国と地域についての「皇室外交マップ」など、とにかく資料性にこだわりました。

 果たして30年間で日本は何が変わったのか、そして何が変わらなかったのか──。平成最後の夏に、来し方を振り返る助けになること請け合いです。