今年の夏は「特別」なのだろうか?
今年の夏、ちまたでひそかなバズワードとなっている言葉に「平成最後の夏」というものがある。インターネットでニュースを検索してみても、「平成最後の夏は『彼氏をつくる!』」「平成最後の夏!行かなきゃ損!夜空を彩る花火カレンダー2018」などのあおり文句が大量に出てくる。平成最後の夏に、みんなワクワク、ドキドキしているのだ。そういう著者も語呂がいいので、この言葉を何度か使ってみたことがある。
この言葉を聞いたり、使ったりするたびに著者が思い出すのが、「大みそかの大みそか感」である。365日のうちの同じ1日であるにもかかわらず、大みそかの大みそか感は半端がない。みそかとはその月の末日をさす言葉だが、大みそかには他の月末にはついぞ考えることがない、いろいろなあれこれに思いを巡らす。街の空気感までいつもと違うように思える。同じ月末なのに。
それと同じように、平成最後の夏も、いつもの夏と変わらないはずなのに、人々は特別な意味を見出そうとしている。人間とは不思議な生き物だ。天皇陛下が生前退位されることになり、平成最後の夏という概念は私たちの目の前に突然現れた。生前退位がなければ、誰も「最後」なんて概念を意識することはできない。大正だって、昭和だってそうだったはずだ。昭和最後の夏は、昭和が終わってから意識されるようになった。