地域活性化、いわゆる「地方創生」の分野で「狂犬」と呼ばれる、男がいる。木下斉、36歳。権力者に対する忖度や曖昧な意思決定がはびこる地方において、耳が痛くなるような正論を放ち続けることからついた異名だ。 木下氏は、高校在学中に早稲田商店会の活動に参加したのをきっかけに18歳にして全国の商店街が共同出資する会社の社長に就任。30代半ばでありながら、すでに20年近く最前線に立ち、ビジネスでまちを活性化させ続けている。既得権益層には「狂犬」、若手にとっては「希望の星」――。 そんな木下氏の新刊『地元がヤバい…と思ったら読む 凡人のための地域再生入門』の発売を記念してインタビューを刊行した。全三回でお送りする。
(構成:井上慎平)
「若い人を育てたい?じゃあ、あなたが引退したほうがいい」
地域再生事業家
1982年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了、修士(経営学)。 国内外の事業による地域活性化を目指す企業・団体を束ねた一般社団法人エリア・イノベーション・アライアンス代表理事、一般社団法人公民連携事業機構理事を務めるほか、各地で自身も出資、共同経営する熊本城東マネジメント株式会社代表取締役、サッポロ・ピン・ポイント株式会社代表取締役、勝川エリア・アセット・マネジメント取締役なども務める。高校在学中に早稲田商店会の活動に参画したのを発端に全国商店街共同出資会社・商店街ネットワーク取締役社長に就任。その後現在に至るまで事業開発だけでなく地方政策に関する提言も活発に続けている。
――狂犬」というあだ名、強烈ですよね。どのような経緯でついたのですか?――
僕、基本は行かないんですけど、知人からの依頼とかで地方自治体の講演に出向くことが年に数度あるんです。でも、話すと二度と呼ばれないことが多い(笑)。
過去の成功体験にあぐらをかいて経営努力を怠り、自分たちが儲からないことを時代のせいにしている地方の「重鎮」たちに「まちが衰退しているのは時代のせいではありません。あなたたちのやり方が間違っているだけですよ」とぼーんと言うと、もう大変で。聞いてもいない持論を展開するオッサンやオバサンがいたりするので、そういう人は地元の経済団体のトップであろうとガンガンやる。時々マイクを離さなくなる人とかもいるから、そういう人には「マイクを切って」、と言ったり(笑)。
そんなことを普通にしていたらいつしか「狂犬」というあだ名が知人たちからつけられました。最近では、「死体に鞭打つ」だとか「墓荒らし」とか、よりひどい言われ方に……(笑)。
けど、別に変なことを言っているつもりはなく、誰しもが思っている普通のことを、ただ言うだけです。まあ、普通なら言わないのでしょうが。
――でも、木下さんはいくら経験豊富といえどまだ30代半ばですよね。自分だったら、大勢の重鎮や地元の名士を前にしたら、「忖度」してしまいそうですが……。――
結局、そういう場でも終わってみると、「よくぞ言ってくれました」とか「私は言えないけど、本当に今日はスッキリしました」とか言われるわけですね。けど、そういう方にも「そうやってじっと何もいわずに我慢しているから、地域がどんどん悪くなるんですよ。次の世代に対して責任ある行動をとってくださいよ」と話すわけです。
みんな、気づいていないわけではなく、気づいているのに放置しているんです。もちろん地元で言ってしまうといろいろと商売に影響が出る、地元の行事での問題が発生する、子どもたちが学校に通っていてそこで何を言われるかわからないとか、様々な閉塞的な環境がそこにあるということはわかります。けど、そういう環境こそが、衰退をそのまま放置する原因になっているのでは、と思わされるところもあります。
だからこそ、私みたいにその地元に縁もゆかりもない人間が関わる理由があるんですよね。まちの重鎮から何を言われようと、仲間とプロジェクトを進めるときも、極端に言えば私は別に関係ありません。幸いにして重鎮たちの年齢よりも多少なりとも若いので、粘っていれば地元の重鎮たちは交代し、若かった仲間たちがそのまちの重鎮へとシフトしていきます(笑)。
――「みんなが思っているけど、言えないこと」というのは、他にはどんなものがあるのでしょうか。――
たとえば、「若いやつらに頑張ってもらわないといけないんだけど、自分たちのまちにはいい若者がいない」ということをよく言われるのですが、じつはそんなことはない。だいたい、そういう人に限って「自分がやってきた」という自負があるので、若いやつのやることなすことに文句ばかりを言う。話がつまらない。生き方がかっこ悪い。という具合で、簡単にいうと「若くていい人が近寄りたくない人」だったりするわけです。だから、そんなときは「地元に若いいい人がいないのではなく、あなたの周りに近づかないだけですよ」とお伝えします。
そして「もし本当に若い人を育てたいのなら、今すぐあなたが引退してその席を若手に譲ってあげるべきなのではないですか」とも。
そうすると、「けれど、私が引退して誰も出てこなかったらどうするのだ」などと言われたりするわけですが、それはやめてから心配すればいい。「今の人がいなくならないと次が自由に出てこれない。だから今日この場で、やめることを決めましょうよ」、と親父以上の年齢の人に深夜三時くらいまで酒を飲みながら、丁寧に優しく説得した夜もありましたね。多少途中は語気を強めた時もあったかもしれませんが……結局、粘り勝ちです。私、しつこいんです。
人口が減ったって、地方にはいくらでも勝算がある
逆に若者、とくに自律心旺盛な商売人が事業をいくつも立ち上げるような人材が決済権を握っているようなまちは、人口減少のこの時代でもちゃんと儲かっているんですよね。儲かっているだけじゃなく、楽しそうだから人も集まってくる。
日本は工業一辺倒で、しかも人口爆発に合わせて「安くたくさん」のビジネスばかりここまでやってきたけれど、若い人たちは、ちゃんと価値のあるものを限られた範囲の量をつくって付加価値をつけるなど工夫していたりします。上の世代が「何もない」と言って放置していた自然を観光などでマネタイズしたり。どこにでもある都市よりも、よっぽど地方の価値を再評価してそれを新たな経済のあり方につなげています。
『地方消滅』という本がベストセラーになって以来、まるで地方の衰退は避けられない天災のように語られますが、それは間違っています。地方衰退は、「人災」なんですよ。
――きちんとやるべきことをやれば、この時代でも地方は賑わうと。――
賑わうということはないですね。というか賑わう必要なんて、別にないんですよ。人がそこで生活し、しっかり豊かに過ごしていくことができれば。もちろん経済成長がいらないということではありません。ちゃんと地方の価値と向き合えば、賑わいに固執せずとも、きちんと経済はついてきますよ。
今年、フランスのシャンパーニュ地方のエペルネというまちに言ってきたんですが、そこの500年続くシャンパーニュメゾンの人と話して、「ああ、こういうのもありなんだな」と気付かされました。フランス産業革命の後にシャンパーニュ近郊には石炭、鉄鋼、鉄道、紡績といった工業が集積し、そして衰退をしていったわけですが、シャンパーニュには未だに産業が残っています。ファミリービジネスで、500年とか続いているところもあるわけですね。すごい雑な言い方すればぶどうをしぼって醸造する農業加工商品なわけですから、まわりは畑ばかり。それでも市場規模は6000億円を超えているから、エペルネーは5万人もいない小さな都市だけど、一人あたり所得はフランス一になることさえあるんです。
しかもフランスなんて人口減少に戦前から悩まされてきた国ですからね。「農業だから貧乏なのはしょうがない」、「人口が少なくなったからもう終わりだ」というのは人口爆発の時代に工業でしか経済成長を実感してこなかった世代が、人生の延長線でしか物事を語らないから出てくる言葉です。でも、結局は自分たち次第なんですよね。
でも、衰退しているまちの「お偉いさん」たちはその事実を絶対に認めようとしません。認めると、時代ではなく自分たちに責任があることがわかってしまうから。だから「うちに客が来なくなったのはショッピングモールのせいだ」とか言いながら、そのショッピングモールで買ってきた服や靴をはいていたり、若者を排除しておいて「このまちにはいきのいい若手がいない」などと寝ぼけたことを言っている。まさに、「老害」です。さらには、「新幹線がないから駄目だ」とか「高速道路がこないから駄目なんだ」というように、自分たちでは到底実現できないようなことによってしか地域は発展しないと思い込んで、政治家や行政に文句を垂れるわけです。
だから僕は、他人のせいにしても仕方ないし、他人に期待しても仕方ないですよ、と伝えます。他人に変わってもらうことを期待する前に、自分が変化するべきですよ、と。そのほうが自分次第でどうにでもなるし、確実です。「ほら、もう今日から変わって、自分でカネを出してやれることをやりましょうよ」と話すわけです。ま、99.999%の人はやらないですが。笑
このあたりの抵抗勢力とのやりとりのリアリティも、今回の作品の見どころかもしれませんね。