赤軍派の元兵士だった植垣康博によれば、脱走者に対する初めての処刑(印旛沼事件)が革命左派によって行われたとき、迷っていた永田洋子は森恒夫にどう対処すべきかを訊ね、森は「処刑すべき」と即答し、永田たち革命左派は実践した。ところがその報告を聞いた森は動揺し、側近だった坂東国男に「まさか本当にやるとは……」的なことを口走ったという。

 森や永田に支配され一方的に強制されたのではなく、むしろ自分たちが森や永田を相互作用的に追い込んだ要素もあるのかもしれないと語りながら、元兵士たちはつらそうだ。でも必死に語る。自己弁護はしない。聞きながら、2カ月ほど前に上祐史浩(ひかりの輪代表)から聞いた話を思いだした。1990年に起きた波野村騒動の際に、熊本地検のやりかたに腹を立てた麻原彰晃が、トラックで地検に突っ込めと側近たちに指示をしたという。その後に上祐が麻原に対して「そんなことはやめてください。オウムがつぶれます」と覚悟を決めて言ったら、麻原はほっとしたように「おまえの言うとおりだ」とあっさりと指示を撤回したという。

「そのときは彼がお風呂に入っていて、自分はガラス戸越しでした。一対一だったから、あんなことを言えたのかもしれないですね」

 少しだけ苦笑しながらそう言ったあとに上祐は、「もしも他の幹部たちがいたら、制止はなかなかできません。より過激なことを提案するほうが修行になるかのような雰囲気がありました。麻原と(自分をも含む)側近たちとの相互作用によって、事件がエスカレートしたことは確かです」とつぶやいた。

 中枢の意志を過剰に忖度する周辺。そして周辺の意志を過剰に忖度する中枢。互いに忖度し合いながら集団は暴走する。一人称の主語を喪うからだ。特にオウムの場合は、教祖がほとんど失明状態でテレビや新聞を見たり読んだりすることができないため、弟子たちのメディア化が促進された。つまり米軍が攻撃してくるとか自衛隊が集結しているなどと、麻原の危機意識を煽り続けた。