『独学大全──絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』が10万部を突破! 本書には東京大学教授の柳川範之氏「著者の知識が圧倒的」独立研究者の山口周氏「この本、とても面白いです」と推薦文を寄せ、ビジネスマンから大学生まで多くの人がSNSで勉強法を公開するなど、話題になっています。
この連載では、著者の読書猿さんが「勉強が続かない」「やる気が出ない」「目標の立て方がわからない」「受験に受かりたい」「英語を学び直したい」……などなど、「具体的な悩み」に回答。今日から役立ち、一生使える方法を紹介していきます。(イラスト:塩川いづみ)
※質問は、著者の「マシュマロ」宛てにいただいたものを元に、加筆・修正しています。読書猿さんのマシュマロはこちら

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[質問]
 胸を張って「頑張った」「頑張ってる」って言って良い判断基準はどこなのでしょうか。

 ブログなどを拝見していて、読書猿先生が『3月のライオン』をお読みになっていることを知り、嬉しくなりました。私も好きです。

 チャプター13にて、高橋君が『「逃げたり」「サボッたり」した記憶って自分しかわからないけど……ピンチの時によく監督に「自分を信じろ」って言われるんすけどでも自分の中にちょっとでも「逃げたり」「サボったり」した記憶があると「いや…だってオレあの時サボったし……」って思っちゃってそれができんないんです』という場面がありますが、私もその状態です。

 私は一浪して、少しだけネームバリューのある大学に進むことができました。しかし、勉強が苦手だし嫌いで前向きな気持ちでなんて取り組めなかったし、嫌々やっていたというのが正直なところです。

 それと同時に、もし気合いを入れて頑張っていたならどうだっただろうとも思います。

 周りは「頑張ったね」と言ってくれましたが、私は頷くことができませんでした。もし本当に頑張っていたのなら第一希望の大学にだって落ちてないよ、と思います。

 胸を張って「頑張った」「頑張ってる」って言って良い判断基準はどこなのでしょうか。全てそれは後から振り返らないと分からないのでしょうか。

頑張らなくても、図々しく生きていい

[読書猿の回答]
 結論から言うと、生き残ってさえいれば、いつでも誰でも「私の勝ちだ」と胸を張ってよいし、自信がなくても胸なんか張らなくても図々しく生きていって良いのだと思います。

 というか私はそうしてます。

 私は、ずっと頑張ってきた高橋くんよりも、生きる場所を得るために頑張り続けなくてはならなかった零くんよりも、長く生きているので、自分がずっと頑張って来たわけじゃないことも、自ら手を抜いたこともあったし、頑張ろうにも頑張れなくなった時があったことも、知っています。

 どれだけ才能に恵まれても、そのうえ誰も真似できないくらいに頑張っても、欲しいものが手に入らない場合だってあることや、望みもしないものを押し付けられたり、できる以上の努力を求められて潰れてしまうことだってあることも、知っています。

 大人はよく教育上の方便として、努力と成果があたかも正比例するかのように若い人に語りますが、行動が引き起こす結果には多くの偶然が影響すること、それ故に結果から努力の量を推し量ることはできないということも、知っています。

 そして自分の努力だけで、今の自分になった訳でないことを、痛いほど知っています。

 だからこそ、頑張りや結果だけで人を崇めたり蔑んだりしてはいけないと、それから自分が受け取ったものを他の誰かに手渡すことを続けなくてはならないと、思うのです。