プルデンシャル生命保険で「前人未到」の圧倒的な業績を残した「伝説の営業マン」である金沢景敏さん。営業マンになった当初はたいへん苦労しましたが、あることをきっかけに、「売ろう」とするのをやめた結果、自然にお客様から次々と「あなたからサービスを買いたい」と連絡が入るようになりました。どうすれば、そのような営業スタイルを作り上げることができるのか? 本連載では、金沢さんの初著作『超★営業思考』を抜粋しながら、その「秘密」をお伝えしてまいります。

超一流の営業マンになった男が、<br />キャリアの出発点で“捨てたモノ”とは?Photo: Adobe Stock

「避けること」ができないことは、
「克服」するしかない

 プライドが傷つけられる――。

 これは、営業マンなら誰もが直面する「洗礼」のようなものです。

 身も蓋もないことを書くようですが、営業マンの立場は、商品を買っていただくお客様より弱いのが普通ですから、プライドが傷つくことを避けることはできません。なかには、営業マンをあからさまに「見下す」ようなお客様もいるのが現実ですが、それも「仕方がない」としか言いようがありません。

 プライドが傷つけられるのは誰にとっても辛いことですが、それが避けられないことならば、僕たちにできることはただひとつ。「克服」することだけです。この「洗礼」を乗り越えなければ、営業マンとしてのスタートラインには立てないのです。

 僕も、営業マンになって、強烈な「洗礼」を受けました。

 それは、ある程度予想していたことではありました。そもそも、僕がTBSを辞めたのは職場に不満があるからではなく、TBSの“看板”のおかげでチヤホヤされているだけなのに、まるで自分自身が偉くなったように勘違いしている自分が、ものすごくカッコ悪く思えたからです。

 だから、僕は、フルコミッションのプルデンシャル生命保険で、「自分の実力」を実証してみせようと思いました。

 会社の光に照らされるのではなく、小さくても自分で光を発することができる人間になろう。“看板”を失って軽んじられることもあるだろうけど、そこから這い上がって一流の営業マンになってやろう。そう覚悟を決めたつもりでした。

超一流の営業マンになった男が、<br />キャリアの出発点で“捨てたモノ”とは?金沢景敏(かなざわ・あきとし)
元プルデンシャル生命保険ライフプランナー AthReebo(アスリーボ)株式会社 代表取締役
入社1年目にして、プルデンシャル生命保険の国内営業社員約3200人中の1位(個人保険部門)になったのみならず、日本の生命保険募集人登録者、約120万人の中で毎年60人前後しか認定されない「Top of the Table(TOT)」に3年目で到達。最終的には、TOT基準の4倍の成績をあげ、個人の営業マンとして伝説的な実績を残した。1979年大阪府出身。東大寺学園高校では野球部に所属し、卒業後は浪人生活を経て、早稲田大学理工学部に入学。実家が営んでいた事業の倒産を機に、学費の負担を減らすため早稲田大学を中退し、京都大学への再受験を決意。2ヵ月の猛烈な受験勉強を経て京都大学工学部に再入学。京都大学ではアメリカンフットボール部で活躍した。大学卒業後、2005年にTBS入社。スポーツ番組のディレクターや編成などを担当したが、テレビ局の看板で「自分がエラくなった」と勘違いしている自分自身に疑問を感じて、2012年に退職。完全歩合制の世界で自分を試すべく、プルデンシャル生命保険に転職した。当初は、アポを入れようとしても拒否されたり、軽んじられるなどの“洗礼”を受けたほか、知人に無理やり売りつけようとして、人間関係を傷つけてしまうなどの苦渋も味わう。思うように成績を上げられず苦戦を強いられるなか、一冊の本との出会いから、「売ろうとするから、売れない」ことに気づき、営業スタイルを一変させる。そして、1年目にして個人保険部門で日本一。また3年目には、卓越した生命保険・金融プロフェッショナル組織MDRT(Million Dollar Round Table)の6倍基準である「Top of the Table(TOT)」に到達。最終的には、自ら営業をすることなく「あなたから買いたい」と言われる営業スタイルを確立し、TOT基準の4倍の成績をあげ、個人の営業マンとして伝説的な業績をあげた。2020年10月、プルデンシャル生命保険を退職。人生トータルでアスリートの生涯価値を最大化し、新たな価値と収益を創出するAthReebo(アスリーボ)株式会社を起業した。著書に『超★営業思考』(ダイヤモンド社)。