株主優待名人として人気の桐谷広人さん。そんな桐谷さんの株の入門書が日本株版と米国株版が2冊同時に発売され、好評発売中です。桐谷さんの株歴37年の長い「株人生」はまさに山あり谷ありですが、株を始める前の見習い棋士時代の極貧エピソードもなかなのもの。なんと、インスタントラーメン三昧で胃潰瘍に!
怒涛の14連勝で年齢制限ギリギリでプロに
――プロになるまでにどのくらいかかりましたか。
桐谷さん:年齢制限というのがありまして。20歳までにプロの初段にならないと、年齢制限でクビなんです。で、入会試験の時に「20歳までに初段っていうと、20歳になったらクビなんですか、それとも21歳になる前の日までいいんですか」って、試験官の、先生に聞いたら、「21歳になって初段になっていなければクビだ」と言われましてね。
まあ、その時は21歳まで2年半ありましたんでね。「あ、それなら大丈夫です」って答えたんですけど、なんと20歳の誕生日になったら、まだ2級なんですね(笑)。1年半やって2級で、あと1年で2階級上がらないければクビになる。そのときはもうちょっとダメかなと思ったんですが、その後、奇跡的に14連勝っていうのをしまして、6連勝で1級になって、8連勝で初段になってね、年齢制限ギリギリでクビを免れたんです。本当にヒヤヒヤだったですね。
で、次の年齢制限は30歳までに4段だったんです。それは、25歳で4段になれましたので、まあまあだったんですけども。でも、(最初は)無謀な挑戦でね、田舎にいてプロのレベルがわかっていなかった。18歳の時に自信満々でプロの世界に挑戦したら4級で、20歳で初段も本当にギリギリで、なんとかクビにならずにすんだというところでです。
貧乏暮らしでインスタントラーメン三昧、胃潰瘍に
――怒濤の勢いでプロまで上り詰める間はどんな生活を送っていたのですか?
桐谷さん:そうですね、最初1年間は将棋会館に住み込んでね。まあ、将棋会館にいれば、寝るところと食事は保証されていたんです。でも、住み込みをやっていると、夜中でも麻雀をやっていた先生に「腹が減ったから夜食を買ってこい」だとか、いろいろ用事を言いつけられるんです。だから、勉強にならないと思って1年で外へ出たんです。
当時、アルバイトで生活していましたけれども、あんまり収入がないもんですから、将棋ファンのうちにしばらく居候してまして。1日2食くらいインスタントラーメンを食べていました。結果的にそれが悪くてね。
それで14連勝して初段になったときにはもう毎日吐き気がして調子が悪かった。初段になってすぐ食事が採れなくなって、「自分でも死ぬんじゃないかな」と思いました。それで、田舎に帰って3カ月ほど休場しましてね。広島の病院で診察を受けたら、胃潰瘍だということで。
――一度、広島に帰ったんですね。
桐谷さん:試合を休んで田舎に帰らなきゃいけないんで、私の師匠が升田幸三という実力制第4代名人という人なんですけども、師匠のところに「田舎に帰ります」って挨拶に行ったらね。ちょっと奥の方に入ってごそごそしてて、しばらくして出てきて。
升田師匠のファンだった、作家の吉川英治さんの書が家にありましてね。それを広げて私に見せてくれたんです。それは、「どこにいても勉強はできる 吉川英治」と書いてある書でした。私が田舎に体調を悪くして帰るって言うんで心配して、師匠がその書を見せてくれて、そう言ってくれたのは嬉しかったですね。
それで、薬を飲んで、2カ月くらいでまた食事が取れるようになったんで、また東京へ出てきて、復帰したんです。
<桐谷さんの人生逆転エピソードはYouTubeでも公開中>【桐谷さん激白①】昔は極貧だった!?見習い棋士時代の苦労秘話/究極の優待投資家になるまで
1949年10月15日、広島県竹原市生まれ。365日株主優待と配当で生計を立てる投資家。プロ棋士七段。バブル絶頂期の1984年に株を始め、バブル崩壊やITバブル、リーマンショックなど相場の浮き沈みを経験。資産は4億円目前。近著に『一番売れてる月刊マネー誌ザイと作った桐谷さんの株入門』『一番売れてる月刊マネー誌ザイと作った桐谷さんの米国株入門』の2冊が好評発売中。