株主優待名人として人気の桐谷広人さん。そんな桐谷さんの株の入門書が日本株版と米国株版が2冊同時に発売され、好評発売中です。「桐谷さんが株で4億円を築くまで」を振り返った当連載の第2回では桐谷さんの極貧の見習い棋士時代にインスタントラーメン三昧で胃潰瘍になったという苦労話を披露。第3回の今回は、極貧時代の生活費と極貧脱出のきかっけにもなったある本の言葉との出会いを語ってくれました。
父に勧められた本のおかげで極貧生活から脱出!
――見習い棋士時代の生活費はどのようなものでしたか?
桐谷さん:うーっ。当時は消費税のない頃で、インスタントラーメンが5食で85円で売っていたんです。1食17円なんですけれども。だから1日2回くらい食べてました。で、まあ、味噌ラーメンを食べて次の食事はインスタント焼きそばだとかね。
そういう具合に味の変わったラーメンを毎日2食くらい食べてて、1食は普通のご飯を食べてて。それが非常に健康に良くなかった。普通の食事は、当時コロッケが10円くらいでね、コロッケを買って食べたり、納豆を食べたりとかしてましたね。まあ、あんまりお金は使わなかったですけどね。
――当時は収入がゼロだったのですか?
桐谷さん:仕送りはなかったですが、将棋関係のアルバイトはしていました。記録係と言いまして、将棋連盟に行きまして、プロ棋士の対局を横で見ていて時間を計ったりね、どういう指し手をしたかをつけたりする。それで1日700円の日当をもらっていましたね。
最初の1年くらいは、家賃はファンの人が払ってくれていました。まあ家賃が1万円弱くらい、他に生活費として1万円くらいでしたかね。物価が違いますから比較になりませんけれど、私くらい貧乏暮らしをしていた人は少ないんじゃないかと思いますね、その当時。
今はインスタントラーメンも高くなって1食60円くらいしてますから。今の物価に換算すると月の生活費が3万から4万円くらいかな。収入は将棋連盟の記録係のアルバイトくらいしかなかったですから。一番お金のない人の生活レベルだったと思いますね。
――本格的に給料がもらえるのは4段から?
桐谷さん:そうですね。入門してからプロ(4段)になるまで7年かかったんですけれども、その7年間はもう食うや食わずで本当に大変でした。プロになれるかどうかもわからなかったんで。
25歳でなんとかプロになれて良かったんですが、その当時、父親が毎日ハガキを書いてくれていたんです。なかなか初段になれずに苦戦していたときに、「こういう本を読め」と言って、「幸福への挑戦」という心理学の本を勧めましてね。
当時、1600円で非常に高かったんですけど、読んだら、「人間っていうのは、心の持ち方で決まる」というようなことが書いてありました。私はいつも昇級の一番のときに2勝12敗(4級から2級に上がるまでに昇給の一番を12回も負けた)したりしていたんですね。
その心理学の本を読むと、人間は心の中に思ったことが実現するというようなことが書いてありました。ですから、昇級の一番に臨むときに、「また負けるんじゃないか」と思うと本当に負けちゃうんです。だから、「自分は必ず勝てるんだ」って思い込むようにしたら、それからはあんまり、この一番という時に負けなくなりましたね。
――その本との出会いがあったことが大きいのですね。
桐谷さん:そうですね。その本は、その後のいろんなときにも活きてきて。人生好調なときには思い出さないんですけれど、株で大損したときなんかはね、その本を思い出して、いい暗示をかけるようにしました。
それでまあ、その後もバブル崩壊とか、リーマンショックとか、何回か大損しているんですけども(笑)。まあ、精神的な面は、いいことを考えるようにして復活できたと思いますね。
<桐谷さんの人生逆転エピソードはYouTubeでも公開中>【桐谷さん激白①】昔は極貧だった!?見習い棋士時代の苦労秘話/究極の優待投資家になるまで
1949年10月15日、広島県竹原市生まれ。365日株主優待と配当で生計を立てる投資家。プロ棋士七段。バブル絶頂期の1984年に株を始め、バブル崩壊やITバブル、リーマンショックなど相場の浮き沈みを経験。資産は4億円目前。近著に『一番売れてる月刊マネー誌ザイと作った桐谷さんの株入門』『一番売れてる月刊マネー誌ザイと作った桐谷さんの米国株入門』の2冊が好評発売中。