旧ソ連の当局から迫害を受けていた若き詩人、ヨシフ・ブロツキーは1972年に米国に逃れ、その後ノーベル文学賞を受賞した。旧ソ連時代のキエフ(ウクライナの首都キーウ)では、ウクライナの知識人が「サミズダート(地下出版)」のブロツキーの詩集を交換しては極秘の集まりで朗読していた。だが、双方の関係は相思相愛とはいかなった。ブロツキーはウクライナが独立国家として存在してから1年足らずの1992年、朗読会で「ウクライナの独立へ」と題した新たな詩を披露した。ウクライナ人への民族的な中傷表現を使って「さらば」と言い放ったブロツキーは、「われわれは共に生きてきた。今ではもう十分だ。ドニプロー(ドニエプル)川につばを吐き捨てることができるなら、おそらく川の流れが逆転するだろう」と続けた。さらに、恩知らずのウクライナ人は死の床で息苦しい最期を迎えるとき、ウクライナの詩人タラス・シェフチェンコの「うそ」ではなく、ロシアを代表する詩人アレクサンドル・プーシキンの一節を再び暗唱するようになると予想した。
ウクライナ蔑視するロシア、根深い歴史の潮流
ロシアのリベラル・反体制派でさえ、ウクライナに対するプーチン氏の見解を共有
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