戦争イメージ写真はイメージです Photo:PIXTA

敗戦に打ちひしがれた日本人を待っていたのは、人間の尊厳を命と天秤にかける日々だった。日ソ中立条約を破って侵攻してきたソ連軍が、日本人男性だけでなく女性へも暴行や横暴な要求を行ったのだ。敗戦直後の旧満州で起きた出来事を語った女性たちの証言を振り返る。※本稿は、朝日新聞社編『女たちの太平洋戦争』(朝日新聞出版)の一部を抜粋・編集したものです。

ソ連兵の暴行に怯えた日々、
いまだに傷を引きずっている

〈中国山西省聞喜県〉出口政江(62歳)

 敗戦の年6月、16歳で旧満州(中国東北部)鶏寧の軍人会館タイピストとして着任しました。敗戦前の2カ月は大変な苦労で、餓死、病死者が相次ぎ、300人余りの日本人が100人余りになりました。

 敗戦で捕らえられた私たちは、吉林市日僑被俘管理所の地下室に閉じ込められました。昼夜の別なくソ連兵の暴行におびえ、私たちをかばった日本人会長は刺殺されました。

 金持ちは、日本に帰国するため渤海湾に面した錦州に向かいました。毎日、船を待つ女性の体を「検査する」と偽っての暴力や乱暴があり、海中に身を投げる女性がたくさん出ました。

 日本に帰国できず、私たちは奉天(現在の瀋陽)市に引き返しました。ここでも毎日、婦女への暴行が続きました。泣き叫ぶ声は建物の中に響き、毎日、多くの死者が出ました。今もソ連兵の残忍な顔を思い出すと、全身が震えます。

 敗戦の翌年の2月、ソ連兵が、日本軍の捕虜を連れて引き揚げると、入れ代わりに国民党軍が共産軍と戦うために入って来て、またしても戦争です。

 大勢の日本女性が殴られ、仕方なく妓女にされました。私は国民党軍の師団長に脅迫されてとらわれの身となり、乱暴されました。