会話していると、ポンと肩などを叩いてくる人がいる。驚いた時、面白く思った時、強く主張したい時、同意したい時等々、感情をカラダで表している感じだ。

 美人は上手にボディタッチする。触られて嫌な感じがしない。自分が話していることへの反応がいいことが気持いいのだ。

 そのうまさとはさりげなさだろう。自然に手が出てくる感じ。こちらも自然と受け入れる。会話への理解が深まる上手なコミュニケーションだ。会話の中に違和感なく入っている感じがする。自然なボディタッチが「美人のもと」を増やしているようだ。

 では、「美人のもと」を増やすために、ボディタッチが苦手な人も練習してみたらいいのではないかと思われるかもしれない。しかし、それはやめるべきである。素人は手を出すな。自然なボディタッチは難易度が高い。どんなに練習してもうまくなる可能性は低い。

 ボディタッチのうまさは先天的な面が強いように思う。生まれながらにして身についているような錯覚をする。小さいころからの育ち方が出るような行動なのではないか。

 ボディタッチをうまく使っている姿を見て、自分もやってみようとする人は多い。しかし、どうしても不自然なのだ。「この人慣れていない」という印象を持たれてしまう。他人から見ると簡単なようだが、タイミング、強さ、その時の目の使い方、こういうものが全部きれいに混ざり合わないと違和感を生み出す。そうなると触られた方は「いちいち触るな」という印象を持ってしまうのである。コミュニケーション失敗だ。後天的なボディタッチ術は見破られるのだ。

 不自然なボディタッチをする人は、その時表情がおかしくなる。無理をしていることが顔や全身の表情に出てしまうのだ。そして「美人のもと」が減っていくのだ。

 ボディタッチは、ヒトによっては何でもない簡単な「美人のもと」を増やす行為であるが、そうではない人には厳しい行為である。先天的なものを持っていないと感じたら、ボディタッチを研究することはやめて、他の「美人のもと」を増やす方法を考えるべきである。そういう人はボディタッチしないことの方がずっと美しいコミュニケーションができるのだから。