人間は遅刻する生き物です。人生の中で1万回だれかと待ち合わせるとしましょう。1万回遅刻しない人がいるでしょうか。朝起きて待ち合わせ場所に到着するまでには、無数の罠が張り巡らされています。悪天候、交通機関の遅延、揚げ物屋から漂うコロッケの香り、デジタルサイネージに映る推しの笑顔……。それらをすべて制してパンクチュアルに生きようとするよりも、遅刻してしまった時に備えるリスクマネジメントこそ我々に必要なライフハックではないでしょうか。そこで、嘘の申し子であり、『ぼくらは嘘でつながっている。』という本まで書いた作家の浅生鴨氏が、嘘の言い訳の秘術をお伝えします。(構成/編集部・今野良介)

「言いわけ」の秘術

人間関係を変化させるために嘘が使われる、おもしろい例があります。

約束の時刻に遅刻しそうなとき、あるいは遅刻したときに嘘の言いわけをする人は少なくありません。本当は寝坊したのに、「電車が遅れまして」「バスに乗ったら道が渋滞していて」などと言って叱責を逃れようとします。

【遅刻の言いわけ】最終兵器を教えよう。おもしろくなってきやがったぜ。 Photo: Adobe Stock

実は、この遅刻の言いわけ、荒唐無稽なものになればなるほど、遅刻したことを叱られなくなるという報告があります。

「すみません、寝坊しました」では、遅刻したことを責められます。

「電車が遅れました」「道が混んでいて」も、もっと早く家を出ればいいと言われるでしょう。

ですが「隣の家で爆発があって、その勢いで祖母が出産しまして」くらいのメチャクチャな言いわけをすると、もはや遅刻については叱られなくなります。

「いやいや、ちょっと待て。あからさまな嘘をつくな」
「ところが、これが本当なんですよ」
「ありえないだろ!」
「バレましたか。すみません~」

論点は遅刻したことではなく、その言いわけが嘘か本当なのかに移ります。もちろんあからさまな嘘をついたことでは叱られますが、遅刻そのものはウヤムヤになるのです。

あきらかにバレる嘘、やたらと大袈裟な嘘は、相手との共有を目的にした嘘です。それは、嘘の種類を分類すれば「娯楽」に近いものです。そんなふうに娯楽を提供することで遅刻がごまかせるのでしたら、一度くらいは試してみてもいいんじゃないでしょうか。

僕は先日「嘘」について丸々1冊語った本を書いたのですが、どうせこの世には嘘しかないのです。

だったら誰かに害を与えない限り、相手といっしょになって、この嘘の世界に大きな嘘を積み上げるほうが楽しいし、さらにそれが誰かの希望になるのだとすれば、お互いに幸せな気分になれそうです。

僕はそんなふうに考えています。(了)

浅生鴨(あそう・かも)
1971年、兵庫県生まれ。作家、広告プランナー。出版社「ネコノス」創業者。早稲田大学第二文学部除籍。中学時代から1日1冊の読書を社会人になるまで続ける。ゲーム、音楽、イベント運営、IT、音響照明、映像制作、デザイン、広告など多業界を渡り歩く。31歳の時、バイクに乗っていた時に大型トラックと接触。三次救急で病院に運ばれ10日間意識不明で生死を彷徨う大事故に遭うが、一命を取りとめる。「あれから先はおまけの人生。死にそうになるのは淋しかったから、生きている間は楽しく過ごしたい」と話す。リハビリを経てNHKに入局。制作局のディレクターとして「週刊こどもニュース」「ハートネットTV」「NHKスペシャル」など、福祉・報道系の番組制作に多数携わる。広報局に異動し、2009年に開設したツイッター「@NHK_PR」が公式アカウントらしからぬ「ユルい」ツイートで人気を呼び、60万人以上のフォロワーを集め「中の人1号」として話題になる。2013年に初の短編小説「エビくん」を「群像」で発表。2014年NHKを退職。現在は執筆活動を中心に自社での出版・同人誌制作、広告やテレビ番組の企画・制作・演出などを手がける。著書に『伴走者』(講談社)、『アグニオン』(新潮社)、『だから僕は、ググらない。』(大和出版)、『どこでもない場所』『すべては一度きり』(以上、左右社)など多数。元ラグビー選手。福島の山を保有。声優としてドラマに参加。満席の日本青年館でライブ経験あり。キューバへ訪れた際にスパイ容疑をかけられ拘束。一時期油田を所有していた。座間から都内まで10時間近く徒歩で移動し打合せに遅刻。筒井康隆と岡崎体育とえび満月がわりと好き。2021年10月から短篇小説を週に2本「note」で発表する狂気の連載を続ける。