決断して辞めるまでに1年8カ月かかった
レバレッジコンサルティング株式会社代表取締役社長兼CEO シティバンクなどの外資系企業を経て、バックスグループの経営に参画し、常務取締役としてJASDAQへの上場に導く。現在は、日米のベンチャー企業への投資事業を行うと同時に、少ない労力で多くの成果をあげるためのレバレッジマネジメントのアドバイスを行う。東京、ハワイに拠点を構え、年の半分をハワイで生活するデュアルライフを送っている。著書に、ベストセラーになったレバレッジシリーズをはじめ、『ノマドライフ』(朝日新聞出版)、25万部を超えるベストセラーとなった『面倒くさがりやのあなたがうまくいく55の法則』『ゆるい生き方』『7つの制約にしばられない生き方』(以上、大和書房)『ハワイが教えてくれたこと。』(イースト・プレス)などがある。著書は累計200万部を突破し、韓国、台湾、中国で翻訳版も発売されている。
安藤 同じ会社の先輩方から、こんな話を聞いたことがあるんです。集英社という大手の出版社で編集者をやっていると、名刺一枚で誰にでも会いに行ける。また例えば20代の女性のトップ1%ぐらいの年収がもらえる。額面では8桁近くありましたので。
そのくらい恵まれた環境にいると、仮にフリーになりたいとか、他の業界に転職したいと思っても、だいたい30歳前後くらいでその夢を諦めてしまうらしいんです。もし失敗したら、後悔するのが嫌だから。それなら何もチャレンジせずに、給料としてはとても安定した今の場所で頑張った方がいいだろう、と。それはそれで問題はないかと思いますが、「辞めたい」と思っていた私も同じでした。給料が毎月振り込まれる生活にすっかり慣れてしまうと、なかなか辞める気にはなれなかったのです。本田さんのハワイ留学のような「期限付きの」明確な目標があったわけでもなかったので、実際に退職を決断するまで、1年8カ月かかりました。
ただ、「辞めたい」と思うようになってから実際に退職するまでの1年8ヵ月の間、怖がって何もしなかったわけではありません。「毎月100人以上」の人に会うと決めて3000人以上の人と名刺交換をして独立に向けて情報収集をしたり、貯金をしたり、フリーになるとつくったり借りたりするのが難しくなるクレジットカードや新居を確保しておいたり、ツイッターという自分メディアで会社員でありながら実名発信をはじめて、フォロワーさんを増やしたりするなど、具体的な準備活動はしていました。
作家。元慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特任准教授。韓国生まれ。日本に国費留学。米インディアナ大学博士課程単位取得退学。中央大学博士号取得 (総合政策博士)。ドイツ連邦防衛大学博士研究員、英オックスフォード大学客員上席研究員、米ハーバード大学インターネット社会研究所客員研究員、慶應義 塾大学デジタルメディア・コンテンツ統合研究機構特任助教授等を歴任。アジア、アメリカ、ヨーロッパ等、3大陸5カ国を渡り歩いた経験から生まれた独自の 哲学と生き方論が支持を集める。著書に『媚びない人生』(ダイヤモンド社)、『真夜中の幸福論』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、訳書『ぶれない生 き方』(スティーブ・ピーターズ著 三笠書房)がある。
キム 辞めて一人になったときは、どうだったんですか。
安藤 辞めたあとは本当にきつかったです。このままどうなっちゃうんだろうと思った時期もありました。通帳の入金が5カ月間ずっとゼロが並んで、半年後にようやく4万円振り込みがあって。特に女性はネイルとか、ヘアカットとか、生きているだけでお金がかかりますから。なるべくお金を使わないために、ひたすら家にいました(笑)。
当時は、そんな自分がとても恥ずかしかったし、先の見えないことに不安でいっぱいでしたが、自分が決めた道なので、不思議と後悔はまったくありませんでした。そして、その超ヒマな半年間があったから、ツイッターの分析ができたんです。おかげで今は教科書をつくれるくらい詳しくなった。
こういう体験をすると、執着というものがなくなっていきます。今はたまたま、とても恵まれた環境にいて、仕事も様々させていただいているけれど、当時の私が今の私を想像できなかったように、来年も再来年も今の自分からは想像できないような未来が待ち受けているんだと思っています。もう、さらに意味不明な生き方をしているのではないかと(笑)。たくさんの人の力を借りて、あの頃を乗り越えることができたのは大きな自信になっています。今ある仕事やポジションが全部なくなっても、自分なら何かしらのかたちで食べていけるんだろうなって、思います。