この話を、どうしても思い出してしまう。あの少女に起った奇蹟がないものかと思ってしまう。
あの日、ぼくたちは閉店までそのバーにいた。たった一晩の食事と会話とお酒だったけれど、夕方から午前二時まで。よく付き合ってくれたものだと思う。サービス精神のある方だが、無理したのではなかったと、勝手に思っている。優しい人だが、言いたいことははっきり言う人でもあったように思う。小説家としては新人だけれど、テレビドラマではベテランである。ディレクターや役者たちには厳しかったのではないか。また、その厳しさは、優しさから発するものではないか。いろんなことを、勝手に想像する。そして、長い付合いだったような錯覚を、自分が持っていることに気づく。
月曜日、小説家としての向田さんの担当だった編集者と会った。テレビでは現地の模様を報告している。向田さんについてしばらく話をしてから、ふと我に返って、
「俺、向田さんとそんなに親しかったわけじゃないんだ」
とぼくは言った。
「そうですね。でも、うんと親しかったような気がするでしょう」
と彼は言った。
誰に対しても、一度会ったらそう思わせてしまう人柄であったに違いない。