文芸春秋に入社して2018年に退社するまで40年間。『週刊文春』『文芸春秋』編集長を務め、週刊誌報道の一線に身を置いてきた筆者が語る「あの事件の舞台裏」。今回は『週刊文春』の表紙を長年描いてきた和田誠さん、そして『文芸春秋』の巻頭随筆を執筆していた阿川親娘の、巡る因果のお話です。(元週刊文春編集長、岐阜女子大学副学長 木俣正剛)
生まれ変わった文春の顔
和田誠の表紙に就職
雑誌ジャーナリズムに憧れ、就活を開始していた私に魅力的なキャッチコピーが飛び込んできました。「ニューヨーク・タイムズのような信用される雑誌を目指す」。
あの田中角栄研究で総理を退陣に追い込んだ【文芸春秋】の編集長・田中健五さんが【週刊文春】を大改革するというのです。
この雑誌に、ぜひ参加したいと思いました。
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そして田中週刊文春の第1号は、それまでの女優の表紙から真っ白な表紙となり、「編集長が変わりました」という大きな文字。次週から和田誠さんの絵が表紙になり、かっこよく始まりました(実は田中編集長が和田さんに締め切りを間違えて伝えたため、絵が間に合わなくて、真っ白な表紙になってしまったというのが真相でしたが……)。
あの都会的で明るい表紙が、スキャンダル報道を柔らかく包んでくださったことは間違いないと思います。それから約20年。編集長になって和田さんに挨拶に行き「この表紙が目標で入社試験を受けました」というと、ニッコリ笑っておられたのを思い出します。
1年後。表紙担当だった田口玲子さんが、「和田先生が犬の表紙絵のために、写真を集めています。今、木俣さんの愛犬写真も提出しておくと、候補者にはなりますよ」。ラッキーにも、わが家のヨークシャーテリア、だいすけくんが表紙になりました。この1年だけ(?)心なしか妻が私に優しかったように思います。