眼鏡も買えない環境で勉強嫌いになり、教師からは「暗吾」と理不尽に蔑まれた少年時代――。文豪・坂口安吾のペンネームには、深い屈辱を強烈な反骨心で跳ね返した執念が隠されていました。理不尽な評価や職場のレッテルに悩むビジネスパーソン必読! マイナス評価を最強の「武器」に変え、自らを再定義する安吾流レジリエンス(回復力)の極意を解き明かします。
イラスト:塩井浩平
新潟生まれ。本名・坂口炳五(へいご)。東洋大学大学部印度哲学倫理学科(現・東洋大学文学部東洋思想文化学科)卒。代表作は『白痴』『堕落論』『桜の森の満開の下』など。坂口家は江戸から続く旧家だったものの、祖父が投機に失敗。衆議院議員の父も残された財産を政治資金に使ってしまうなど、没落の過程で少年時代を過ごす。中学生のころから悟りの境地に至りたいと思い始め、大学ではインド哲学を専攻。昭和5(1930)年、大学卒業後友人たちと同人誌『言葉』を創刊したことを皮切りに、文学者を志す。昭和21(1946)年に発表した『堕落論』は戦後混乱期の社会に衝撃を与えた。意欲的に執筆活動を続けていたが、昭和30(1955)年に脳出血により48歳で急逝。
「お前は暗い奴だ」卑劣なパワハラに屈せず
理不尽なレッテルを最高の武器に変えた“驚異の反骨心”
激動の時代を生き抜き、『堕落論』などの名作を世に送り出した文豪・坂口安吾。破天荒なイメージが強い彼ですが、そのルーツには幼少期の深い挫折と屈辱がありました。
現代のビジネスパーソンにとっても、他者からの心無い評価や恵まれない環境に直面することは少なくありません。安吾の原体験から、逆境をはねのけるレジリエンス(回復力)のヒントを読み解いていきましょう。
環境のハンデから生じた「つまずき」
――『ビジネスエリートのための 教養としての文豪』より
ビジネスの現場でも、十分なツールや環境が与えられないために、本来の能力を発揮できず「仕事ができない」と評価されてしまうケースがあります。安吾の場合、生家の没落という経済的な事情が「視力低下の放置」につながり、結果として勉強への意欲を奪ってしまいました。
個人の努力ではどうにもならない環境要因が、モチベーションを大きく削いでしまう残酷な現実がここにはあります。
理不尽なレッテル貼りが与える絶望
ただでさえハンデを背負って勉強から遠ざかっていた少年に、さらなる追い討ちがかかります。さらに追い討ちをかけるように、漢文の先生からこう言われてしまいます。
――『ビジネスエリートのための 教養としての文豪』より
現代の職場であれば、間違いなくパワーハラスメントに該当する発言です。上司や教師など、絶対的な権力を持つ者から否定的なレッテル(ラベリング)を貼られることは、人の尊厳を深く傷つけます。
「自分はダメな人間だ」と自己肯定感を失い、そのまま組織からドロップアウトしてしまう人も多いでしょう。安吾の胸中にも、計り知れない屈辱が渦巻いていたはずです。
屈辱を反骨心に変え、自らを再定義する
しかし、安吾の真の強さは、その理不尽な評価への「向き合い方」にありました。
――『ビジネスエリートのための 教養としての文豪』より
彼は教師から与えられた「暗吾」という蔑称に屈し、そのまま受け入れることはしませんでした。せめてもの反発心から「安」の字をあて、自らのペンネームとして生涯背負うことを選んだのです。
これは、他者からのマイナス評価やレッテルを逆手にとり、自らの新しいアイデンティティとして再定義する強烈な「反骨心」の表れと言えます。
仕事において理不尽な評価や屈辱を味わったとき、ただ打ちひしがれるのではなく、それを「見返すためのエネルギー」に変換できるか。坂口安吾のペンネームに秘められたエピソードは、逆境をたくましく生き抜くための究極の思考法を私たちに教えてくれます。
※本稿は、『ビジネスエリートのための 教養としての文豪』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。



