それは主義? はたまた事情??
「AかBか」という主義が分かれそうなトピックをあらためて考える、人気エッセイストの古賀及子さんによる書き下ろし新刊より抜粋・再構成して公開します。(構成/ダイヤモンド社書籍編集局)

暮らしの信じ方Photo: Adobe Stock

前回≫7/18公開、「せっかくの出張なのにコンビニ飯」を回避できた意外な方法【古賀及子さん書き下ろし(1)】

家の近所でも売られているものを、食べていいはずがない

 翌日は午前から福岡市の南、久留米市の書店に行く用があった。旅の興奮から予定よりもずっと早くに目が覚めて、朝ご飯をどうしたものかなと思う。

 私はやわらかい麺がきらきらの薄いだしに浮かぶ福岡のうどんの大ファンで、できればうどんにありつきたいけれど、飛行機での移動の慌ただしさやイベントの緊張で、うっかり店を調べないままだった。

 適当に営業中のうどんの店を検索するものの、朝から開いている店が近くにはない。徒歩二十分のところに二十四時間営業のチェーンの店があるようだけれど、久留米へ向かう時間を考えるとそこまで行く時間はなさそうだ。

 やむなく、朝は近くのコンビニでおにぎりでも買ってすまそうと、ぼさぼさの髪の毛を雑にひとつにまとめてホテルを出た。すぐ隣にコンビニがあったはずだ。

 明るいコンビニで、おにぎりを選ぶ。せめて何か地域限定の品などはないものかな。探すけれど見当たらない。ならばパンでもいいか。福岡らしい、いや、九州まで範囲が広がってもいい、ご当地パンみたいなものがあったらいいのだけど。

 思えども願いは通じず、棚に並ぶのはさんざん見たことのある、東京の自宅からいちばん近所のコンビニでも並ぶおなじみのパンばかりなのだった。

 コンビニに、県外からのお客のもてなしをさせるのも無理な願いだよなあとは思いつつ、うーむと思う。

 ここは福岡だ。自宅から千キロ以上離れている。家の近所でも売られているものを、食べていいはずがないよな。

 急激に、千キロという距離がずんとプレッシャーとして首の裏あたりにのしかかった感覚があった。

 近所でも手に入るおにぎりやパンなどを買っていては、だめだ。はっとして、このコンビニで朝食を買うしかないのに、出口に走って店から出てしまった。

千キロ向こうから来た私、どうする

 博多駅の近く、春のよく晴れた朝だった。街にはもう通勤の人が動き出して、しゅっとした大人たちが忙しく行き交った。

 いっぽう私は、髪の毛は雑にくくり、かろうじて水で洗っただけの顔面はまだむくんで、手にはスマホと財布のみが入ったエコバッグをぶら下げている。コンビニの前に仁王立ちで、眼光だけは鋭かったと思う。

 千キロ向こうから来た私、どうする。

 すっと目の前を赤い自転車が横切ったかと思ったら停まった。運転していた人が、降りて鍵をかけると走って横断歩道を渡っていった。すると向こうから小走りに誰かがやってきて、いま停まった自転車の隣に置いてある同じ赤い自転車にまたがったかと思うと漕いでいく。

 あ、チャリチャリってこれか。

 コンビニの前が、昨日聞いたシェアサイクルのポートになっていた。五台ほどの赤い自転車が並んでいる。顔を上げると、同じ赤い自転車に乗った人が右から左にこいで去った。話に聞いたとおり、本当にすごい勢いで使われている。

 あれ、もしかしてこれに乗ったら、二十分かかるうどんの店に十分くらいで行けるんじゃないの。

 アプリをタップすると、ログイン画面など現れることなくすぐに起動した。赤い円に白抜きの文字で「鍵をあける」と書いた大きなボタンが表示されている。押した。カメラが起動し、自転車のQRコードにかざすようにうながされる。

 こうなるともはや言われるがままだ。私はコンビニの前に並ぶ自転車のうちの一台の、サドルの後ろに表示されているQRコードにスマホをかざしていた。

 驚くほど滑らかにカメラはQRコードを読み込んだ。クレジットカードのタッチ決済の速さに驚くことがあるだろう。あれくらい速い。画面にQRコードが映るか映らないかくらいの瞬間に「ピロー」という音がして、ガチャンと自転車の鍵が開いた。

いい天気が、もっといい天気になるみたいだった

 うどん屋への道はわかっていた。ホテルの部屋で、徒歩二十分と表示された地図を見ていたから。

 私はよく、「地図を読むのが苦手そうですね」と言われる。声が大きく元気だから間が抜けて見えるのだろう。

 実際、大抵のことがうまくできないし、うっかりしているし、いつも何かに驚いている。

 だから「そうなんです。地図、苦手です」と、なんとなくそうかもしれないという気になって言ってしまうのだけれど、実は地図はめちゃくちゃに読めるのだった。

 赤い自転車は、これまで乗ったどの自転車よりもこぎやすかった。道にでこぼこがなくきれいで走りやすいのかもしれない。向こうまでずっと平らで、車道も歩道も広く、あたりがよく見えた。

 東京の坂道の多さへのわだかまりが浄化される比喩のように今日は晴れて春だ。

 うどん屋に向けてぐんぐん運転しながら、私を舐めないでいただきたいものですなと思った。
 地図は読めるし、それに特技は野蛮な投資方法でお金を増やすことである。舐めないで、いただきたいものですな。

 笑った。博多の朝がどんどん通り過ぎていく。

 赤い自転車は重心が低く道に吸い付くように滑って走る。いい天気が、もっといい天気になるみたいだった。