それは主義? はたまた事情??
「AかBか」という主義が分かれそうなトピックをあらためて考える、人気エッセイストの古賀及子さんによる書き下ろし新刊より抜粋・再構成して公開します。(構成/ダイヤモンド社書籍編集局)

暮らしの信じ方Photo: Adobe Stock

前回≫7/22公開、「せっかくの出張なのにコンビニ飯」を回避できた意外な方法【古賀及子さん書き下ろし(2)】

千キロ向こうから、チャリで来ました

 博多警察署の前を通って祇園大通りを北へ、それから国道二〇二号線に入って御笠川を渡る。見えるぞ、資さんうどん博多千代店が。

 シェアサイクルのポートは店をすこし過ぎた先のコンビニの前にあって、停めて鋭意、うどんを食べに向かった。

 平日の朝、店は混んでいる。小さな子ども連れが座敷にいて、ひとり客がカウンターに並び、ボックス席には女性だけのグループがいて、サラリーマンらしきグループも見える。

 私は千キロ向こうの東京から来ました、でもチャリで来ました。

 うどんを堪能して、資さんうどんといえば、ぼた餅だ。ひとつ入ったパックを買って、それからまた、さっきのポートで自転車を借りてホテルまで戻る。

急激にスイッチが「使う側」に入った

 それから私は、東京へ帰る飛行機に乗るまでの福岡滞在で、このあと六回、チャリチャリを使ったのだった。
積年の思いが爆発するかのように、シェアサイクルに乗った。

 爆発するほどの積年の思いがあるとは思わなかったが、東京でシェアサイクルを見ていた、あの「じっとり」した気持ちはやっぱりどこか、乗りたさにあったのだろう。自分の自転車ではない、シェアサイクルというものへの純粋な乗ってみたさだ。

 電車の在来線や路線バスに対して、乗りたい! という思いは、もうあまりない。でも子どものころはやっぱりちょっとあったと思うのだ。その気持ちは今、新幹線や飛行機に残っている。乗り物への根源的な憧れだ。
私にとって、シェアサイクルも、そういう乗り物だった。

 福岡でシェアサイクルに乗った、その最後が帰京の日の、博多の市街から福岡空港までの道のりだ。

 福岡空港といえば、街のど真ん中にあることでその名前を轟とどろかせる。やたらに街とのアクセスがいい。ならば、自転車で行けてしまえるのではと思った。調べると空港の近くに、一般的なポートの何倍もの広さのポートがあるらしく、地元の人たちも、きっと自転車で空港へ行くのだろうと想像した。

 思ったのとはちょっと違って、空港のポートは「こんなところに!」と驚くような、砂利の敷かれた駐輪場の奥の奥にあった。しかもそこから歩いて行かれるのは国内線が発着するターミナルではない、国際線ターミナルだ。

 あとから地元の人に話したところ、チャリチャリで空港に行くなんて話は聞いたことがないと言っていた。

 国際線ターミナルから、国内線ターミナルへは連絡バスが走っていた。メルセデスベンツのエンブレムのついたバスが堂々として停まっており、慌てて乗るとアコーディオンのような接続部で二つの車体が連なる、連節バスだった。

 国内線ターミナルへ向けてベンツが発進する。飛行機の並ぶ広々とした空港をぐるっと回るように走り、途中、貨物を運ぶトーイングトラクターが柵の向こうで並走した。

 なんだか、乗り物への憧れが乗り物を呼んだようではないか。

 国内線のターミナルに無事に着いたあと、飛行機が飛ぶまでの時間、チャリチャリのアプリの履歴をほれぼれとして眺めた。急激にシェアサイクルのスイッチが「使う側」に入って、けれど東京ではやっぱり使うことはあまりないだろうと思いながらアプリを閉じた。

 坂が少なく、かつ、あちこち細かく移動する必要がある出張だったから、私はシェアサイクルを楽しめたわけだ。

誰かの日常のような私の非日常

 旅の非日常というのを実感したことが、実はあまりない。

 旅は旅で、いつもどこか強固に日常と地続きだと、むしろ日常というものの強さに旅に出るたびに驚かされる。

 そんななかで、チャリチャリは明らかに誰かの日常のような私の非日常だった。頭がまだぼさぼさのまま知らない街の朝を走ってうどんの店に行く、そういう非日常を、福岡で見つけた。

 ところで、シェアサービスといえば東京ではもはや電動キックボードの方が活況かもしれないが、一度も使ったことがない。
 じっとりと横目で見ているのはシェアサイクルと同じだけれど、キックボードに関しては、自分の運動神経の悪さから、立ったまま乗れる気がしないのだった。

 主義というよりも、これは諦めだろう。

 舐めないでいただきたい、でもどうしても、大抵のことがうまくできないのは本当だ。

(おわり)