それは主義? はたまた事情??
「AかBか」という主義が分かれそうなトピックをあらためて考える、人気エッセイストの古賀及子さんによる書き下ろし新刊より抜粋・再構成して公開します。(構成/ダイヤモンド社書籍編集局)

暮らしの信じ方Photo: Adobe Stock

前回≫7/16公開、同じ靴を履いて、同じかばんを背負って、せいせいする【「靴と鞄をどうするか」古賀及子さん書き下ろし(2)】

かばんは“欲しいもの”そのものの気配がある

 靴とほとんど同時に、かばんも、自分に対してわかりやすく整理した。

『サザエさん』でサザエが欲しがるものといえば、ハンドバッグだ。

 かばんは“欲しいもの”そのものの気配がある。
 欲望の象徴としてのイメージから、バッグに対しては、靴よりも多少、諦めずに頑張った方がいいのではないかと、長らく感じさせられてきた。

 けれどどうだろう、心静かに大地に立って思いを馳せれば、靴同様、私はかばんにも、こだわりや興味があまり、いや、まったくといっていいほどない。

 サザエさんのようには欲しがれない。

名品ゆえの難点

 靴におけるフリースタイルほど強い納得の出会いはかばんにはない。

 ただ、今のところ、無印良品の「肩の負担を軽くする 撥水リュックサック」の黒いのを、もう七、八年使い続けている。背負い紐のパッドが薄くなったころが買い替え時だというのも徐々にわかってきて、今背負っているので三個目だ。

 商品名のとおり、肩の負担がとにかく軽い。背負い紐のパッドに秘密があるらしく、古いのを新しいものに買い替えたときの、負担の軽減のあまりの目覚ましさには、二回買い替えて二回とも笑った。

 名品の証であり、同時に難点でもあるのが、とにかく背負っている人が多いことだ。

 渋谷駅前のスクランブル交差点は曜日や時間によれど、信号が青になると一気に千人ほどが渡ると聞くが、千人渡る中で毎回少なくとも五人はこのリュックを背負っているのではないかと思う。

 それくらい、常々お揃いの人がいる。とにかくよく見る。駅にいることが多い。駅の階段を登る目の前をゆく人が同じリュックだったことが、過去何度あっただろう。

 私がそう思うのと同じくらい、私を見てそう思う人もいるはずで、いつか誰かのと取り違えるのではないかと恐ろしいというのが、難点だ。

これくらいでいいとわかったから

 仕事には全部このリュックで行く。ノートパソコンが楽に担げるからちょうどいい。一泊くらいなら出張もこれで行く。

 パソコンを運ばなくていい日は、綿の生成りの薄いトートバッグを肩からかけることにしている。エコバッグとして売られているやつだ。

 エコバッグをメインのバッグとする文化は脈々としてある。ちゃんとしたかばんを持たず、エコバッグを使っている人は街にとても多い。むしろ主流といっていいくらいの大きな潮流だろう。

 かつては、用事があって街に出れば、ついでに靴やかばんの売り場を回って、うまい具合に私にちょうどいいものがないものかと迷ってうろうろ探した。

 これくらいでいいとわかったから、もう徘徊することもない。

 今日も同じ靴を履いて同じかばんを背負って、バーンと家を飛び出した。せいせいする。

(おわり)