それは主義? はたまた事情??
「AかBか」という主義が分かれそうなトピックをあらためて考える、人気エッセイストの古賀及子さんによる書き下ろし新刊より抜粋・再構成して公開します。(構成/ダイヤモンド社書籍編集局)

暮らしの信じ方Photo: Adobe Stock

一つひとつにケアがいる難題

 靴が難しい。

 みんな黙っているけれど、実は靴というのはほとんど試練と言ってもいいくらい、日ごろから人間に課されている難問ではないか。

 足にぴったりのものを探し、靴擦れを防ぎ、踵がすり減ったら修理するか買い替えるかして、表面に汚れや傷がついたら洗って磨き、紐はほどけないようにしっかり結ぶ。

 歩きやすいか、似合うか、ドレスコードはクリアするか、季節や天候に対応できるかなどなどなど、さまざまな条件をくぐりぬける必要があって、そのためには複数足揃える必要もあって、一つひとつにケアがいる。

 この難題を、人はそれぞれに適切に処理して、または処理しきれず諦めたり悔しい思いをしたりしながら生きているのだから偉いことだ。街ゆく人の足元を見ては感動すらする。

 一度みんなで、しっかりめにねぎらい合ってもいいのではないか。靴を頑張っている私たち、お疲れさま! と。

自ら選び取って解決するということを、まさか長らく知らずにいた

 もうずっと、靴に悩んできた。まず、とにかく靴擦れしやすい。

 パンプスもサンダルも下駄もブーツも何を履いても肌がぐずぐずになる。

 実家の方針で、靴下の存在を知らずに育ったのがよくなかった。靴というのは、なんでも素足で履くものだと思っていたから、靴擦れもいよいよだ。靴下を買う発想もなかった。

 二十歳をすぎてからも靴下との距離はあいたまま、ぎりぎり最低限のマナーだけ守りながら、それなりの間、靴下のことをほとんど知らないかのように暮らしていた。

 同時に、長靴やスノーブーツなど、気候に合わせて靴を買うこともぼんやり思いつかずに生きてきた。

 これは靴に限らずなのだけど、私は根本的に、自ら選び取って購入することによって解決するということを、まさか長らく知らずにいた。

 買えば物が手に入ることも、世の中には便利な物が数多く売られていることも、どちらも現実の景色として見てはいたけれど、本質的には理解しきっていなかったというか、どこか、自分が買わなくても願えばいつか困りごとは解消されるのではないかと、まるで無根拠の生優しさのようなものが世界にはあると思い込んでいた。

 だから靴も、よくわからないまま、ぼんやりと、芯を食わないように買っては靴擦れをしたり、雨にぬれてびしょびしょにしたり、すぐに踵をすり減らしてそのまま履き続けたりしながら、なんだかおかしいなあと思い続けていたのだ。

 自覚的に生きない、自分に起きていることが自分に起きていないような、自分が他者であるような感覚を長らく持っていたと思う。