それは主義? はたまた事情??
「AかBか」という主義が分かれそうなトピックをあらためて考える、人気エッセイストの古賀及子さんによる書き下ろし新刊より抜粋・再構成して公開します。(構成/ダイヤモンド社書籍編集局)

暮らしの信じ方Photo: Adobe Stock

ほんのちょっと「いいな~」と思っている

 シェアサイクルのことを、私はいつも、じっとり横目で見ている。

 自転車が並ぶポートと呼ばれる場所があれば、あ、こんなところにもあるんだなあと思うし、乗っている人がいると、いちいちちょっと目で追う。「やってるなあ」と思う。

 乗っている人がいたとき、そこに発生するのは不思議と乗っていない自分だ。要するに、ほんのちょっと、「いいな~」と思っている。

 私は乗る必要がないから乗っていないだけなのだ。それなのに、温めた牛乳にはった膜くらい漠然と薄うく、「いいな~」と羨望しているわけだ。どうだ、怖いだろう。

 この羨ましさは、働く車を見たときの軽い興奮と地続きなのではないか。

 と、書くと、働く車に興味のない方に伝わらないだろうか。ゴミ収集車とか、タンクローリーとかを見たときの、「おっ!」「わっ!」と憧れる感じが、シェアサイクルにもたぶんあるのだ。

自転車がいちばん早いことがある

 薄く憧れを抱く、そんなシェアサイクル、使ったことはちゃんとある。

 私が暮らす東京では、地下鉄が網羅しないどまんなかのエリア以外は、東西の移動は私鉄によってたやすいけれど、南北となると一気に面倒だ。鉄道がカバーしないぶんバスが鋭意運行しているとはいえ、丁寧に丁寧に停留所が設けられており細かく停車するため、遅い。

 南北を移動するなら、電車よりもバスよりも自転車がいちばん早い、みたいなことは結構あって、それで何度かシェアサイクルを使った。

 利点としては、専用のポートがあるため駐輪場を探さなくてすむのが助かる。東京の繁華な場所は、とにかくどこも駐輪場がいっぱいでいつもあふれている。

 自前の自転車に乗っていくと、停める場所に難儀する。駐輪場にぎりぎり空きを見つけて差し込めればいいけれど、どうにも見つからず、あたりをぐるぐる回ることはよくある。

 それでも最近は、ほとんどと言っていいほど使っていない。理由は簡単で、東京は坂が多すぎる。電動自転車を借りたとしても、私のような情けない体力の者は十五分も乗れば大汗をかいてどっと疲れてしまう。

 三つほど入れているシェアサイクルのアプリは起動しないまま、使う選択肢がもはや頭に浮かばなくなって、街で走っているのを見て「いいな~」と思いながら、結果的に「使わない派」にしゅるっとおさまってしまった。

心も体も空っぽのように無だった

 先日、出張で福岡市に行った。お世話になっている書店が、トークイベントのゲストに呼んでくれたのだ。

 イベントは盛況のうちに無事に終わり、関わった方々と軽く食事をしたあとの帰り道のことだった。ある地元の関係者の方が「私、お酒飲んでないのでチャリチャリで帰りますね」と挨拶をして、駅へ向かう私たちのグループから離れていったのだ。

 チャリチャリ……?

 残った人が「シェアバイクです」と説明してくれた。

「すごく便利なんですよ。そこらじゅうでみんな乗ってます」と言う。市内のいたるところにポートがあって、自転車が常に数台は置かれており、分刻みの精算で利用料は異様に安く、細かい移動にとにかく使えるという。

 聞いて私は「へえ!」と言った。「そうなんだ!」とも、言った気がする。

 このときを思い出すと、私は見事に、心も体も空っぽのように無だった。

 東京でしっかりと、シェアバイクのスイッチを使わない側へ入れ切っている。「へえ!」も「そうなんだ!」も、旅先の景色をよそ者として珍しく眺める気持ちから出ただけだった。