それは主義? はたまた事情??
「AかBか」という主義が分かれそうなトピックをあらためて考える、人気エッセイストの古賀及子さんによる書き下ろし新刊より抜粋・再構成して公開します。(構成/ダイヤモンド社書籍編集局)

暮らしの信じ方Photo: Adobe Stock

前回≫7/16公開、同じ靴を履いて、同じかばんを背負って、せいせいする【「靴と鞄をどうするか」古賀及子さん書き下ろし(1)】

じわじわと実感として掴んでいった

 そんな調子だから、私のものは私が責任を持って選んで買わねばならないのだと、私の靴は私が買うしかないのだと気がついて意識的になったのは、やっと、三十代に入ってからだ。

 はっきりとしたきっかけはなく、おそらくじわじわと実感として掴んでいったものだとは思う。ひとつ契機として、リーボックのフリースタイルというスニーカーとの出会いがあったのは間違いない。

 フリースタイルは一九八二年に販売開始になったエアロビクスシューズで、いかにも八十年代らしくどこか懐かしいデザインながら、脈々と象徴的に販売され続けて今に至る。

 私が履くようになったのは、行ったり来たりしていたブームが再来してまた軽く注目を集めていた、〇〇年代の終わりか一〇年代のはじめのころだった。

靴は、私には難しすぎる

 とにかく履き心地がよかった。それまでの靴の選び方が無茶苦茶だったといえばそうなのだけど、履いてきたすべての靴が更新される思いだった。

 最初に手に入れたのがハイカットの黒で、結局その後、いろいろと売られるほかの色やデザインに寄り道することなく、履きつぶしてはまったく同じ物を買い続けて十五年近くになる。相性のいい靴を見つけて、やっと靴を買うこと自体も理解した、ということだと思う。

 この理解により、冠婚葬祭用のパンプスも、必ず一足、足に合うものをちゃんと靴箱に入れておけるようになった。過去に比べたら驚くほどしゃきっとしたものだ。

 そもそも自分が、靴に執着や興味を持っていないこと、靴に救いや希望を求めていないこと自体にも、時間はかかったけれど、気づくことができたのだと思う。

 困らない程度に靴があったら、私はそれで十分なのだと、自分の意識をしっかり自覚した。

 靴は、私には難しすぎる。手持ちの靴をシンプルに簡略化することで、やっと靴というものを攻略した。

「極端な選択をして切り抜ける者」として

 友人に、大変な靴好きがいる。

 私の靴への意識が最低限であることには、きっと驚くんじゃないかと思ったけれど、話すとむしろ大きく共感してくれた。

 友人は、自分が靴を楽しんで靴をたくさん買うのは、単純に靴が好きで、靴がほとんど趣味だからだと言う。好きじゃないなら、靴って難しいし、そんなにたくさん要るもんじゃないよねと。

 私はアクセサリーも一切買わない選択をした。この友人はアクセサリーも好きだ。

 質の良いものをいつくしんで数少なく集めており、私のように靴は最低限、アクセサリーはすべてキャンセルと、極端な選択をして切り抜ける者がいるいっぽうで、丁寧に気と目を配る道をゆく友人のような人もいるよなと、ただ思う。