つらい記憶を学びにできる人と、できない人。その差は一体どこにあるのか?
本記事では、山口周氏に「決して寝る前に読み始めないこと。一度ページをめくってしまうと止めるのは不可能です。」と絶賛され、日経新聞、週刊現代などの書評で話題となっている『極限の漂流118日間』をもとに、両者の違いについてライター照宮遼子氏がレポートする。(構成/ダイヤモンド社・寺田庸二)

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二度と来ないと誓った場所に立っていた不思議

 以前、体調を崩してインドネシアのジャカルタでの仕事を辞めたことがある。
 当時は、毎朝起きるだけで体が重かった。
 職場へ向かう道も、住んでいた家の部屋も、外の蒸し暑い空気も、自分の居場所ではないように思えた。
 もう二度とここには戻らない。
 そう思って帰国した。

 なのに、数年後、旅行で再びジャカルタを訪れることになった。
 タクシーの窓から街を眺めていると、かつて住んでいた家が近づいてきた。
 見慣れた外観が目に入った瞬間、自然と手がスマホに伸びていた。

つらい記憶を学びに変える人の特徴

 遭難の瞬間だけでなく、それに至るまでの選択や、救助後の反応までをつぶさに追う衝撃の翻訳書『極限の漂流118日間』(ソフィー・エルムハースト著/村井章子訳)には、助かった直後の不思議な行動が描かれている。

なぜ真夜中にベッドを抜け出し、ほとんど歩けもしないのに、しかも疲れきっていてあちこち痛いのに、暗闇の中をわざわざ真っ暗な海を見に行ったのか。
海はもうすこしでふたりの命を奪うところだった。
それでもその日の朝まで、海はふたりの家だったのである。

――『極限の漂流118日間』より

 ついさっきまで命を脅かしていた海から離れ、今は安全な船の上にいる。
 それでも、その夜、ふたりは甲板へ出た。
 海は恐ろしい場所であると同時に、飢えや痛みに耐えながら、何日も朝を迎えてきた場所でもあったのだ。

 苦しかった場所でも、朝を迎え、食事をし、誰かと言葉を交わし、同じ景色を何度も見ている。
 その場所が嫌だったとしても、そこで過ごした時間のすべてを、嫌な記憶だけにすることはできない。

つらかった時間の見え方が変わることも

 つらかった場所の価値は、そこにいる間には見えないことがある。
 苦しさに気を取られている間は、そこで積み重ねていたものまで見えなくなってしまうからだ。
 少し離れて初めて、あの時間が何だったのかが見えてくる。

 本書が描くのは、危機を生き延びる記録だけではない。
 そこで過ごした時間が、あとからどんな感情を呼び起こすのかまで書かれている。
 過去の記憶に割り切れない感情を抱えている人には多くの学びがあるかもしれない。