「まさか、皇帝本人が捕虜になるとは――」。約20年にわたりフランス政治の頂点に君臨したナポレオン三世は、戦場で捕らえられ、あっけなく権力の座を追われた。大衆の支持を集め、国の威信を高めてきたはずの皇帝に、何が起きたのか。実は、その失脚の伏線は最後の戦争より前にあった。成功を重ねるほど「強いフランス」を見せ続けなければならない――。そんな人気頼みの政治が抱える落とし穴を、書籍『地図で学ぶ深読み世界史』の著者が、メキシコ出兵から普仏戦争へと続く歴史をひもときながら解き明かす。権力の怖さは今も変わらない。

「まさか皇帝本人が捕虜に…」教養のある人ほど知っている「人気頼みの権力」の怖さPhoto: Adobe Stock

20年も続いたナポレオン三世の政権、「強さ」を支えた意外なもの

 ナポレオン三世は、フランスを意外に長く支配した。1848年に大統領となり、1852年に皇帝に即位してから、1870年に失脚するまで、およそ20年にわたってフランス政治の中心にいた。

 それでも彼には「最後はあっけなく敗れた皇帝」という印象がつきまとう。なぜか。大きな理由の一つが、外交と戦争である。

 ナポレオン三世は国内で大衆の支持を基盤にしていたため、政権の威信を維持するには、対外的にも「フランスは強い」と示す必要があった。実際、クリミア戦争やイタリア統一戦争への介入では存在感を発揮し、一時期はフランスの国際的地位を高めた。

「外交に強い皇帝」の看板が崩れた…メキシコ出兵で起きた誤算

 しかし成功が続くと、外交は政権人気を支える重要な道具になる。その分、失敗したときの打撃も大きい。象徴的なのが1860年代のメキシコ出兵である。フランスはメキシコに軍事介入し、ハプスブルク家のマクシミリアンを皇帝に据えたが、計画は行き詰まり、最終的に撤退を余儀なくされた。政権の威信は大きく傷ついた。

 さらに、ヨーロッパではプロイセンが急速に力を伸ばしていた。ビスマルク率いるプロイセンとの緊張が高まり、1870年には普仏戦争が勃発する。ナポレオン三世自身がセダンで捕虜となり、第二帝政は崩壊した。

「人気頼みの権力」はなぜ怖い?ナポレオン三世の末路が教える教訓

 彼の失敗は、一度の戦争だけで突然始まったわけではない。メキシコで「外交に強い皇帝」というイメージが揺らぎ、そこへプロイセンの台頭が重なった。

 大衆的人気によって強くなった政権ほど、成功を見せ続ける必要がある。その成功が外交や戦争に依存すると、敗北は単なる政策失敗ではなく、政権そのものの正統性を壊す。ナポレオン三世は、その危うさをよく示している。