そこで牧野氏は、会社設立に先駆けて、パッケージソフト開発のためのプロジェクト研究会を立ち上げ、約60社のユーザー企業を組織化。手弁当で集まった若いエンジニアたちと協力して、「COMPANY」という人事・給与パッケージソフトの開発に成功し、その後、起業したのだ。

 では、彼らは何をやったのか。段階ごとの手順とパターンを徹底的にヒヤリングして、整理し、柔軟性のあるパッケージを作っては、ユーザー企業に検証してもらった。それを繰り返して、最終的に多くの日本の大企業に適応するパッケージソフトを開発した。

 ここでの新結合は、技術力よりもむしろ、開発者とユーザー企業の関係性だろう。その濃密な協力体制を作り上げたところで、このプロジェクトの命運は決まったと言えるのではないだろうか。

 彼の義憤は、「日本には優れた経営モデルがたくさんあるのだから、日本企業は欧米ばかりを見るのではなく、もっと日本のモデルをお手本にすべきだ」というものだった。そして、日本にERPパッケージがないのはおかしい。もっと言えば、パッケージベンダーが育たないのはおかしいという問題意識を持っていた。

 まだ誰も行っていないが、それを行うことで社会に新しい価値を提供する。これが牧野氏の考える社会貢献であり、社会貢献にならないようなことに人は集まらないと考えた。実際、多くのエンジニアが彼の志に賛同した。

義憤は持ってしまうもの
イノベーションは起こしてしまうもの

 つまり、起業もそうだが、イノベーションを起こすためには、第一に、課題を客体ではなく主体化、つまりは自分事化しなければ始まらないということだ。

 これは企業の新規事業推進室などのあり様にも関わる話だろう。そうした組織は、自らが率先して新規事業を開発するのではなく、現場で義憤を持ってしまった人たちを支援して、その想いを形にする手助けをするのが正解なのだと思っている。

 では、主体的に問題を見つけて、その問題と自分を一体化させるにはどうしたらいいか。そのためには、自分の心の叫びのような問題意識がなければいけない。それが義憤なのだが、これは持とうとして持てるものではない。

 義憤は探して持つものではなく、否応なく、持ってしまうもの。一方のイノベーションは起こそうと思って起こすものではなく、やむにやまれず、起こしてしまうものだ。

 そうではなく、極論すれば一攫千金を狙って、“賢く”事業を起こすことはできるだろう。しかし、すでに顕在化しているニーズに焦点を当てた事業であれば、その先は間違いなくレッドオーシャンだ。激しい競争が待っている。