僕はイラストを凝視し続ける。施設内を歩きながらずっと燻っていた違和感が、ようやく形になりかけていた。これは違う。殺される側のユダヤ人には、SSの将校は悪魔のように見えて当然だ。でもそれは普遍化できない。当時のナチスの軍人たちが皆、血に飢えた残虐な男たちだったわけではない。その多くは家に帰れば、良き夫であり良き息子だったはずだ。アウシュビッツ強制収容所の所長を務めていたルドルフ・ヘスは、子煩悩で妻思いの男だった。本国ドイツから家族を呼び寄せて、収容所内の家で仲睦まじく暮らしていた。でもそこから徒歩で数分の場所にはガス室があって、多くのユダヤ人が毎日悶えながら死んでいた。

 ハンナ・アレントが「凡庸な悪」と表現したアドルフ・アイヒマンも含めて、彼らのほとんどは、少なくとも凶暴ではない。残忍でもない。でも彼らによって、多くのユダヤ人が無慈悲に殺されたことも確かだ。

 事実と事実が相反する。軋み合う。その狭間で僕は動けない。立ち止まって呻くばかりだ。

イスラエルへの恨みはアメリカへの憎悪と重複する

 第2次世界大戦終了後、明らかになったホロコーストの実態にヨーロッパは震撼し、そして萎縮した。なぜなら(ホロコーストほど大規模で組織的ではないにせよ)ユダヤ人を差別して迫害して殺害してきた歴史は、ヨーロッパ全土(正確にはキリスト教文化圏)も共有しているからだ。

 同時にこのとき、世界中に散らばっていたユダヤ人たちは、シオンの丘を目指し始めていた。イスラエルの地(パレスチナ)に自分たちの故郷を再建しようとの運動だ。彼らの多くはホロコーストの被害者遺族だ。家族や友人や知人の誰かが殺されている。だからこそ自衛の意識が強い。自分たちの安全を最優先する。アラブとの共存はできない。そう考えたユダヤ人たちは、イスラエルの地に長く暮らしていたパレスチナの民の土地を、無慈悲な圧力と暴力で奪おうとした。

 国連が仲介に入る。でも主要メンバーであるヨーロッパ各国は委縮している。特にイギリスは自らの三枚舌外交によってこの混乱を招いたからこそ、イスラエルの強引な国土建設計画に対して、強い異議を唱えることができない。