打ち捨てられた英霊たちの墓石を訪ねて
住宅地を少し歩く。細い路地を抜けると突然視界が開ける。異様な光景だ。敷地いっぱいに墓石が並んでいる。でも普通の墓石ではない。ほぼすべては高さ50センチメートルほどの小さな直方体(先端は少し尖っている)。台石は1枚だけ。すぐ足もとの墓碑には「陸軍歩兵加藤周一郎之墓」と彫られている。
大阪市天王寺にある真田山陸軍墓地。徴兵令が初めて発令された明治4年、当時の兵部省が設置した日本で最初の兵士の墓地だ。当初の面積は2万8040平方メートル。そして今は1万5077平方メートル。
ここには戦死した兵士だけではなく、兵役や訓練中に事故死や病死した兵士や軍役夫、さらには日本軍の捕虜となった外国人の遺骨も埋葬されている。墓碑の総数は5299。ただしそのほとんどは、西南戦争や日清戦争までの戦没者だ。日露戦争や第1次世界大戦、そして戦場で死んでも遺骨を持ち帰る余裕などなかった第2次世界大戦の死者たちは、大きな合葬墓に埋葬され、さらに遺骨や遺髪や(現場の)土などが入れられた小さな骨壷は、昭和18年に完成した納骨堂の棚にびっしりと置かれている。その数は8000超。
墓苑への出入りは自由。でも膨大な数の墓のほとんどは、近年に線香や花が手向けられた気配はまったくない。要するに打ち捨てられている。線香台には枯葉が重なっている。墓石の多くは罅が入ったり欠けたりしている。
「大阪の人もほとんど知りません」
ここまでを案内してくれた大阪在住のエルネスト高比良さん(医療関係者で市民運動家)が言う。「僕もたまたま通りかかって驚いて調べたんです」
確かにここに来るために2人で乗ったワンコイン・タクシーの運転手も、真田山陸軍墓地と言ってもわからなかった。実のところこうした陸軍墓地は、全国で80カ所もあるという。でもそのほとんどは打ち捨てられている。遺族ですらここに墓があることを知らないケースが多いらしい。納骨堂の整理に来ていた年配の男性が、「政治家たちは本気で慰霊したいのならここに来るべきだよ」と少しだけ腹立たしそうに言った。