“エース”の看板に偽りあり!
結果を出せないエース新社長
業績が停滞していたある企業に、新社長が就任した。新社長は、過去に会社の主力事業を立ち上げて成功させた若きエース。当然、社の内外を問わず、誰もが彼に期待した。彼ならきっと、会社の方向性を正しく定め、成長に導いてくれるだろう。メディアからも注目されるなど、事前の期待は非常に高かった。
新社長は就任早々動いた。商品ラインナップを見直し、広告宣伝活動を変え、大々的な組織変更をし、若い優秀な人材の登用……など、しかし企業の業績は一向に上がらない。顧客からの評判も良くない。早々に社内外から「期待外れだ」「この就任は失敗だった」という声が上がったのは期待が高かったことの裏返しだろう。新社長の評価は瞬く間に下がっていった。やり手のエースのはずの人物が、なぜ結果を出せなかったのだろうか。
「織田がつき、羽柴がこねし天下餅、座りしままに食うは徳川」
この手の話を聞くとき、私はいつも江戸時代のこの狂歌を思い出す。実際に大きな成果が生み出されるまでには必ず先人の苦労があり、最終的にその成果を獲得するのは大抵別の人物なのだ。エース新社長の場合もまったく同じ。彼は信長でも秀吉でもなく、家康だったのである。
エース新社長の功績として語られてきた主力事業には、奇しくも他に2人の人物が関係している。最初に、その事業の基本モデルをつくったのは地方拠点のA氏である。試行錯誤の上にひとつの成功パターンを見出し、その地方では小さな成功をおさめた。ただし、彼はすでに出世コースから外れた人物だったため、大きく注目されることはなかった。
A氏の成功モデルに目をつけ、それを全国的に水平展開させたのが本社のB氏である。彼は、事業モデルを標準化し、わかりやすい指標を作り、リーダーを育成した。そのことによって、地方支社でしか通用しないと思われていたビジネスが、全国規模に広がり始めた。