もし本当に社長が思い描く通りの状況を可能にするためには、組織の統制ルールを変え、仕事の習慣を変え、業績評価、人事考課、行動規範、価値観……と、すべてのものを変えて「挑戦できる組織環境づくり」をしなくてはならない。現場を統括する課長や部長には、挑戦に失敗した部下に何度も挑戦の機会をつくり、失敗しても自分の評価にはまったく支障が出ないような状況をつくらなければならい。

 かつて多くの人が好んで打席に立った時代はあっただろうが、それは会社の基幹技術が時代のニーズとマッチしており、打席に立てば、誰でもそれなりの確率で成功することができるという恵まれた状況にあったからだ。「昔が良かった」のは、昔の人が偉かったからではなく、会社と人が、いいタイミングで、いい場所に存在したということなのだ。

 極論と思われるかもしれないが、課長が「部下が挑戦するというので挑戦させました。でも、失敗したので業績は下がりました」と報告しても「よくぞ機会を提供した。成果は出なくても仕方がない」が普通にならなければ、失敗した人に機会は提供されない。

社長の評価軸も現場では矮小化され、
違うものに解釈されてしまう

 ある会社では、スケールの大きい人材を育成したいという社長の意向を反映し、経営幹部に求める要件を指標化して、360度評価をしてみたことがあった。そこで高い評価を受けた人材をリスト化してみたところ、社長が想定していた人ではない名前ばかりがリストに並んでいた。

 たとえば、社長は「世の中の変化を的確に捉えられる」ことが重要だと考えており、それを指標に入れた。このとき、社長は、自社商品が関係するマーケット全体の構造的な変化や、10年、20年先を見据えた技術革新(変化)のことを指して「変化」と言っていだが、現場レベルでは「今度の人事異動で取引先の部長が異動になった場合、その後釜につく新部長候補にもコネクションを作っておかなくてはならない」というのが目下の一番重要な「変化」である。社長の意図は、現場においては別次元すぎて完全に無視され、自分たちなりの解釈のもと、“目端が利く人”を“変化を的確にとらえられる人”として評価してしまったのである。ビジネスの現場に近づけば近づくほど、あらゆることが矮小化されていく。